Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

水素の時代

技術者のAkiです。

 

 

 

科学技術の話題で恐縮です(マニアック???)。
自分は、日本の企業につとめる技術系社員なんです。

それで、これからの世界の科学技術はどうなるんだろうと日夜、悶々と頭を悩ませています。

 

嘘です。

 

そんなことは考えていません。会社の上の方から言われて、しぶしぶ、この技術はいいのか、悪いのか、調べさせられているのです。

その技術領域の一つに『水素』があります。

長年、『水素の時代』が来るぞ、もう石油は使わないんだ、と言われてきました。その理屈は、自動車でガソリンのかわりに水素を燃料として使えば、出るのは水だけで、排ガスもでない、また、二酸化炭素も出さず、環境にいいし、地球温暖化にも有効ということでした。

でも、実際に私たちがその車(燃料電池車)を見たり、使ったりすることはありません。その理由は値段がむちゃくちゃ高いこと、それと水素を車に充填するスタンドがないことです。

したがって最初から商品として成立する見込みがなかったと言えます。

それと、環境にいい、という話。

車を運転する場面だけ考えれば、排ガスも二酸化炭素も出ない、というのはすばらしいことなのですが、その燃料の水素を大量に作るためには、やはり石油や天然ガスを原料とするしかなく、その過程で排ガスや二酸化炭素が排出されるのです。

 

なので、この環境にいい、というのも鵜呑みにはできません。

ですので、水素社会はいまだに到来していないのです。

当たり前のことです。

じゃあ、水素の時代は来ないのか、というとそうも言いきれないように思えます。

地球温暖化とか、環境とかいろいろ叫ばれてますが、Akiは、一旦、このうるさいかけ声を完全に無視して水素のいい使い方を考えたらどうかと思います。また、とりあえず、海外も無視して、日本国内でどう使ったらみんなが喜ぶのか、地域限定で考えてみたらと思うのです。

 

今まで、国が水素技術に使ったお金(税金)は莫大なものです。また、企業も幾度となく水素関連で設備投資を繰り返し、無理やり、ガソリンスタンドにかわる水素ステーション(スタンド)を建設しています。

その数は全国で100か所強、ちなみに現在、ガソリンスタンドの数は20,000か所。まだまだ普及には程遠い。

このやり方、Akiは間違っていると思います。

でも、もう私たちの税金は使われてしまったのですから、なんとか元をとらないといけません。

やっちまったものは仕方がない。

日本のメーカーは、なんとなくトレンドに乗っかって開発(ハード)を始めてしまうのですが、意外と、画期的な使われ方とかビジネスモデルを作るのが苦手なんですね。

地べたを這うような、かっこ悪いけど、みんながいいね、って言ってくれるような水素の使い方。考えてみようと思います。

 

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大型固体酸化物型燃料電池SOFC) ※ネットからの引用

 

上の写真は水素を燃料として直接発電できる装置、デザインも凝っていて、かっこいいですね。未来を感じさせる。それで、なんとかという賞をもらったそうです。

しかし、Akiからすると税金の塊です。賞なんぞもらわずに、かっこ悪くてもいいから、もっと可能性のある商品に金をかけたら?と言いたいのです。

 

水素の時代(終わり)

ベトナムの旅(ニャチャン)

Akiです。

 

 

ベトナム人の彼氏と知り合う前のことですが、ベトナムニャチャン(Nha Trang)を旅行したことがあります。

まだ、Akiがベトナムを知り始めた頃です。当時はニャチャンという名前すら知りませんでした。日本人の知り合いからベトナムのビーチでニャチャンというのがあって、行ってよかったよ、と聞いて無性に行きたくなりました。

 

それで行ってみたのです。

真夏の旅でした。

 

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ベトナム地図、ニャチャン、Nha Trangは右下)

 

ニャチャンはベトナムの中部(南寄り)の海岸沿いの町です。
なので日本からは、ホーチミン(HCMC、旧サイゴン)のタンソニャット空港まで行き、そこで入国手続きを済ませ、国内線に乗り換えます。ホーチミンからは一時間ほどでニャチャン空港に到着しました。

正確にはカムラン空港ですね。

その空港からニャチャンの市街までタクシーで一時間くらい。

 

Akiはここで5日ほど過ごしました。彼氏とは知り合う前なのでそのときは一人旅でした。ビーチで、日がな一日過ごしたり、近郊の観光地を訪ねたりと優雅なバカンスを満喫しました。

ただ、不思議に思ったのは、やたらとロシア語の看板が多く、そしてロシア人観光客が多いことです。

ビーチに出ると巨大な体のロシア夫人が水着姿で泳いでいたのが印象的でした。

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(ニャチャンビーチ)ホテルの窓から

 

 

なぜロシア人が多いのか?

 

主な理由は、ロシアからニャチャンのカムラン空港に直行便がでており、寒いロシアからの避寒地として、以前からロシア人の定番ビーチリゾートとして知られていたからだそうです(ネット情報から)。


でも、Akiはそれだけが理由ではないように思います。

ニャチャンの玄関口であるカムランは天然の良港として知られ、軍事拠点として用いられることが多く、日露戦争中にはロシアのバルチック艦隊が寄航し、太平洋戦争中には日本海軍も使用しました。

1975年のベトナム戦争北ベトナムがここを占領してからは、社会主義陣営の基地となり、旧ソ連が1979年より2002年まで(ソ連崩壊後はロシア)、その太平洋艦隊の一部が駐留していたそうです。

実に23年間です。

この時代に、ロシアにとってカムランが身近なものになり、近郊のニャチャンの存在が知られるようになったのではないか、とAkiは思っています。

ロシアとベトナム、すごく遠いのですが、常に隣国の中国と対抗してゆかなければならないベトナムにとって、中国をけん制する意味でロシアとの友好は大事だったのだと思います。

 

なので、ニャチャンの町を闊歩しているロシア人は、冷戦時代の名残りでもあり、今のベトナムの立ち位置を表している、と言ってもいいのかもしれません。

 

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カムラン湾とニャチャン)

 

ロシア人が多いこともあって、意外と西洋料理もおいしいのですが、やはり海産物がいい。ロブスターを道端で焼いていて、それをそのまま買って歩きながら食べることもできます。

 

ぜいたくですね。 

 

あと、ニャチャンの観光ですが、ビーチのほかに意外と見るべきものがあります。

例えば、ポー・ナガール(Thap Po Nagar)。かつてベトナム南部を支配したチャンパ王国の遺跡です(チャンパの神話に出てくる女神ポーナガールを祀る祭壇)。ベトナム東南部に居住したチャム人が、2世紀末に中国(後漢)の支配から独立し、チャンパ王国をたてました。チャンパはインド文化を採用し、中継貿易で栄え、石造寺院建築などに独自の様式を生み出したものの、北のベトナム王朝や西のクメール王国(カンボジア・アンコール朝)との争いが絶えず、そして南下するベトナム勢力に圧倒され15世紀後半にはその支配下に入り、17世紀に滅亡したのでした。ポー・ナガールの建築を見るとインド文明の影響を明らかに感じます。インドの影響ははるかベトナム南部にまで達していたのでした。

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今もお祈りに来る人が絶えません、チャム族?インド人?

 

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 ポー・ナガール(Thap Po Nagar)

 

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ポー・ナガール。

その寺院は高台にあるので、遺跡を見て、振り返るとニャチャンの街と港が一望の下に見渡せます。青くて、舷側の高い舟が漁船。ベトナム独特の形をしています。


チャンパから時代が下って、19世紀。
1889年に建立された隆山寺(ロンソン寺、Chua Long Son )

130年ほど前のお寺ですが、落ち着いていいお寺です。ベトナム南部のお寺は極彩色に塗られているものが多いのですが、このお寺はくすんだとび色の屋根がいい味を出していました。Akiが行ったときは、ほとんど観光客もいなくて、静かな空間を楽しむことができました。

 

夏の暑い日だったのですが木陰に入ると心地よい風。

 

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隆山寺(ロンソン寺、Chua Long Son )境内をのぼってゆくと巨大な仏様

 

 

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暑い中、カフェで冷たいベトナムコーヒーを一杯、ほっと一息つきました

 

ベトナム一人旅。

ベトナムが好きになりかけていたような。
それで、ベトナム人の彼氏を探しはじめていたような。

そんな気持ちだったと思います。 

 

ベトナムの旅(ニャチャン)終わり





 

三種の神器

ゲイのAkiです。

 

 

ベトナム人彼氏の三種の神器

 

それは、スマホ、ラップトップパソコン、電子書籍リーダーです。

この3つは、いつも持っています。
それで、一緒に旅行とかデートしているときでも絶えず、チェックしています。

 

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(山の中でもスマホをいじる)

 

それは仕事だったりするのですが、ちょっと時間があると喫茶店やホテルの部屋でパソコンでなにかやっています。

”仕事?、大変だね” とAkiが言うと、

『仕事じゃないよ、インターネットでマンガ見ていた』

”なーんだ”

でも、仕事もしています。彼氏の仕事というのは企業や官庁向けのシステム構築(コンサルタントエンジニア)なんですが、勤務時間はあってないようなもの。一応、朝の9時から夕方6時までと決まっているらしいのですが、休暇中であっても電話がかかってきます。その都度、丁寧に対応しているのです。とばっちりを食うのはAkiの方です

が、仕方がないかな。

と、その仕事が終わるまでじっと待っています。スマホでやりとりして、問題の内容を聞いて、パソコンを立ち上げて対策を練る、そんなことをやっているのです。

で、電子リーダーですが、彼氏が言うには経済や専門のシステムの勉強のため、ということですが、Akiは彼氏がこっそりマンガを見ているのを知っています。ホテルのベッドでシーツをかぶって読んでいるのです。隠れなくてもいいのに、と思うのですが。

彼氏の仕事のやり方を見ていると、スマホ、パソコン、電子リーダーは三種の神器だな、と思います。リーダーで勉強して知識を蓄えて(マンガも見ますけど)、スマホで直接やり取りして、パソコンで解決する。

なので、どこでも仕事ができるわけです。

Akiの場合、仕事は会社でやるもの、という意識が強いです。家に帰っても頭の中で考えることはあるのですが、それはあくまでも会社に明日行ってやるべきことの整理です。勤務先が製造業なので個人でやれることには限界があるのです。でも、発展著しいベトナムのスピードに合わせるには、彼氏のような働き方があっていると思います。

そして、それは日本とは全然違っていて、おそらく、その働き方はグローバルスタンダードになりつつあるように思うのですが、どんなもんでしょうか?

 

三種の神器(終わり)

日本のこと(2)

日本人のAkiです。

 

日本のことについて考えています。

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tuaki.hatenablog.com

 

前回は、日本のGDP国内総生産)についてでした。
今、日本は世界3位で、当面この地位は安泰なのですが、遅かれ早かれ、インドに抜かれて4位に後退。


まあ、それでもいいか、
日本なりのゆっくりとした成長を目指そう、
・・・みたいな話でした。

 

でも、その日本に住む日本人とはいったい何者なのか?
日本人らしさとはなにか?
私たち日本人は、なにを基準に考え、行動しているのか?
そして、その根本は何なのか?

 

非常に深い話なのですが、自分なりに考えてみたいと思います。

でも、その深い話の切り口は無数にあります。

 

ここでは、江戸時代の『儒学』を切り口に解析してみようと思います。

 

以前、中国について考え、儒教のことを調べました。

tuaki.hatenablog.com

 

tuaki.hatenablog.com

 

そして、中国、朝鮮と日本の違いの一つが儒教であると結論づけました。
日本には宗教、慣習としての儒教はなくて、儒学という学問があったのです。

 

ここで儒教儒学の違いをAkiなりに定義しておきます。

 

儒教は、孔子の教えを説き、孔子を崇め、その生活様式や態度、規範を規定するものです。その教えはいいんだ、という宗教のことです。なので生活すべてが儒教的となります。一方、儒学は、単に、孔子の教えを理解するための学問にすぎない、ということで、学んだ内容を自身に投影して反芻することが求められます。

 

要するに、儒教は宗教、儒学は道徳、ということですね。

 

その儒学を江戸期の日本人たちは熱心に勉強しました。

 

幕末の思想家、佐久間象山もその一人です。
自分は、昨年末に信州を旅行してそのことを知りました。

tuaki.hatenablog.com

 

佐久間象山のような思想家は江戸期の教育によって生まれました。江戸幕府による官立の学校、昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ、または昌平黌)。あるいは、民間でも大坂に懐徳堂(かいとくどう)という学問所が設立されました。地方では、おのおのの藩に藩校(はんこう)が競って開かれました。藩士の子弟は皆強制的に入学させられ、藩士に月謝の支払い義務はない上に、成績優秀者には藩から就学支援金を給し、江戸等に遊学させることもあったそうです。各地の藩が国元や江戸藩邸に設立した藩校は約270校にのぼるそうです。代表的な藩校としては、会津藩の日新館(今の福島県会津高等学校)、米沢藩興譲館(今の山形県立米沢興譲館高等学校)、長州藩の明倫館(今の山口大学経済学部)、中津藩の進脩館、佐賀藩弘道館熊本藩藩校時習館鹿児島藩薩摩藩)の造士館などがあります。これらの学校は、今でも高校や大学となっており長い教育の歴史を感じさせます。

 

江戸期の武士達が主にそこで教育を受けたわけですが、町人であっても民間の学校があり、そこで学んでいました。

 

したがって、江戸期の教養というのは、『儒学』であることは間違いありません。

 

そして、その儒学が教えるところは・・・

人は、「仁・義・礼・智・信」からなる「五常」を守ることで、「五倫」という自身と関わり合う「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を良好に保つことに努めなければならない、

五常を簡単に説明します。

仁・・・人を愛し、思いやること。「五常」の中でも特に重んじられている
義・・・利や欲にとらわれず、世のため人のために行動すること。
礼・・・謙遜し、相手に敬意を払って接すること。「仁」を具体的な行動にしたものが礼とされ、後に人と関わるうえで守るべきことを意味するようになります
智・・・偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断すること。
信・・・人を欺かず、人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、誠実であること。

この5つを守れば「五倫」、すなわち父子・君臣・夫婦・長幼・朋友などの人間関係がうまくいく、という考え方です。

 

どうでしょうか? 

今の私たち、日本人の心にも2すっと入ってくる内容のように思えます。

違和感はありません。
できているか、いないかは別として、こうあるべき理想として無理なく受け入れられるように思います。

 

これが日本人なのだと思うのです。

こうあるべきだという儒学を、決して宗教としてではなく、学ぶべきものとして受け入れた江戸期の儒学教育によって、今の日本人が形成されたのだと自分は思っています。

 

 

日本のこと(2)(終わり)

この儒学がたどった江戸期から現代までの歴史を次回以降で振り返り、日本人とは何か、という問いに答えてみようと思っています。

 

英語で付き合うこと

ゲイのAkiです。

 

 

 

自分はゲイで、ベトナム人の彼氏(年下)と付き合っています。

 

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ベトナムの田舎道で)

 

話す言葉はすべて英語です。


お互いの母国語は理解できないので英語で話すしかないのです。
二人がベトナム語と日本語を勉強すればいいのでしょうけど、この言語の難しさに気づいて二人とも早々にあきらめました。

 

tuaki.hatenablog.com

 

 今でも、たまに彼氏に言うことがあります。

  ”やっぱり、ベトナムに住むとしたらベトナム語はおぼえないとまずいよね”

『それはいらないんじゃない、英語だけでもハノイなら暮らしていけるよ』

 ”そんなもんかね?” 

彼氏はいいかげんなところがあるのですが、おおよそ間違わない人なのでそんなものかもしれません。今のところ遠距離恋愛なので、大きな問題はありません。でも、実際、ハノイに住むようになったらたぶん、最低限の言葉は覚えないとダメでしょうね。

それで、彼氏との日々のやりとりはチャットです。英語で文章を書くわけですが、これはある程度自分のペースでできるので、問題ありません。

 

でも、自分は、電話が苦手です。
相手の言葉を理解して、頭の中で、文章をすばやく組み立てて、しゃべる、というのがダメですね。

リアルで会うとき、それは年に数回程度ですが、やはり、会ってすぐは英語がでてきません。

しどろもどろでデートが始まるのです。
もう5年も付き合っているのですが、この繰り返しです。
で、しばらく話しているとなんとなくしっくりした会話になっていきます。


一方、彼氏の英語力は年々、向上しています。最初に会ったときは、お互い、同じようなレベルだったのですが、彼氏が外国駐在(カンボジアバングラデシュ)を経験してからは格段に向上しました。外国でのビジネス体験を通して、実践的な力を身に着けたようです。

 

自分は、頻繁に海外旅行に出かけるのですが、仕事で海外駐在の経験はなく、やはりその違いが大きい、と思いました。日頃は日本の会社に勤めていて、ほとんど英語は話しません。会社には外国人もいるのですが、彼らが一生懸命、日本語を覚えてくれるので意志の疎通はできるのです。たまに海外出張もしますけど、技術プレゼン後の質疑応答は通訳を介してやるようにしています。プライベートの旅行なら、適当なことを言っていても大して問題にならないのですが、企業同士の話し合いで間違いがあってはならない、ということです。

だけど、ベトナム人彼氏の場合は、通訳がいるわけでもなく、英語で丁々発止、渡り合っていたようです。それが、Akiと彼氏の英語力の差になったのだと思っています。

 

それと同時に彼氏のコミュニュケーション能力(交渉力)も上がりましたね。

 

彼氏はどんどんレベルアップしているのですがAkiはどうなんでしょう。
英語力は上がっているのかな。よくわかりません。

でも、彼氏と意志の疎通はできていて、彼氏がなにを考えているのか、困っているのか、気持ちが沈んでいるのか、楽しいのか、すべてわかります。ちょっとした言葉の端端でわかるのです。


『英語で付き合うこと』

最初は難しいように思えたのですが、なんとかなっています。

 

結局、人柄とか、どれだけ相手を思いやれるのか、とか、お互いのフィーリングが合うかどうか、の方が大事のように思うのです。

 

英語で付き合うこと(終わり)

品薄(2)

Akiです。

 

 

コロナウイルスの影響でマスクが品薄状態でした。
以前、そのことについてブログに書きました。

 

tuaki.hatenablog.com

 

で、

最近、またスーパーにマスクを買いに行ったのですが、今度は完全になくなってました。もう、手に入りません。

 

マスクの替わりに、棚にのど飴が置いてありました。
飴をなめて、どういう効果があるのかわかりません、のどの保護に役立つのでしょうか?

 

たぶん、気休め。
(多少、のどの乾燥を防ぐ意味はあるのかもしれませんが)

 

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次は、ティッシュペーパーです。
まだ、在庫はあるようなのですが、おひとり様、2個までと書いてありました。

 

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その一方で、あれだけ騒いでいたトイレットペーパーですが、 店頭には十分な量がありました。やはり、これはデマだったようです。

 

少し、安心。

 

tuaki.hatenablog.com

 

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気になるものを見つけました。

殺菌剤コーナーに燃料用アルコールが置かれていたのです。

でも、その主成分はメチルアルコールメタノール)。

普通、殺菌用のアルコールはエチルアルコールエタノール)やイソプロピルアルコールです。同じアルコールなのでメタノールにも殺菌作用はあると思うのですが、エタノールなどと違って毒性があります。また、引火性も高く、取り扱いは要注意です。

 

殺菌にアルコールを使う場合には、アルコールの種類を確認した方がいいと思います
(よく見ると小さな字で成分が書かれています)

 

 

あと、ぜんぜん関係なくて、本当にどうでもいい話なのですが、スーパーでマンゴーを見つけました!

タイ産で1個、300円。

 

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以前、ブログにも書いたのですが、そのときはメキシコ産のマンゴーが1個、1000円。めちゃくちゃな値段でした。

tuaki.hatenablog.com

 

それと比べると1/3の値段。やっと、日本で手が届くレベルにまでなってきました。
ベトナムだったら、たぶん3個で100円。まだまだですが、マンゴー好きのAkiとしてはうれしい発見でした。

 

いろいろと『品薄』ぎみですが、マンゴー食べてがんばろう。

 

品薄(2)(終わり)

 

ハノイの夜

ベトナム好きのAkiです。

 

 

 

最近のハノイの夜(午後8時ころ)の写真です。
ベトナム人の彼氏が送ってきました。

 

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そこそこ人やバイク、クルマも走っているようですが、以前とぜんぜん違う。

 

まばらです。

 

去年、彼氏が送ってくれたのはこの写真。同じハノイの町です。

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ハノイホーチミンのような大都会は、この写真のとおりオートバイで埋め尽くされているのが普通でした。とてもじゃないけど、歩いて道路を渡れない。

 

それはある意味、ベトナムを象徴していて、活気にあふれた国の風景でした。

 

でも、今はコロナウイルスの影響で、閑散としてます。
道も簡単に渡れそうです。

 

あいかわらず、学校は休みなのですが、企業や工場は稼働を始めました。
それでも、道路はこんなにがらがら。
みんな家にこもっているとのことです。

 

 

Akiも、最近、会社への道(家からクルマで毎日通勤してます)が空いてきていることに気が付きました。日本の地方都市での話です。

それで、毎日の通勤時間も短くてすむようになりました。

 

日本もベトナムも、人混みを避けて家にいるようになりつつあります。

 

人気が少ないハノイの町、ちょっと想像できません。
大好きなベトナム、早く元の喧騒に戻ってほしい、と思います。

 

しかし、今はじっとしているしかない。
残念ながら、それしか選択肢はないのです。

 

 

 

ハノイの夜(終わり)