日本人のAkiです。
日本のことについて考えています。
前回は、日本のGDP(国内総生産)についてでした。
今、日本は世界3位で、当面この地位は安泰なのですが、遅かれ早かれ、インドに抜かれて4位に後退。
まあ、それでもいいか、
日本なりのゆっくりとした成長を目指そう、
・・・みたいな話でした。
でも、その日本に住む日本人とはいったい何者なのか?
日本人らしさとはなにか?
私たち日本人は、なにを基準に考え、行動しているのか?
そして、その根本は何なのか?
非常に深い話なのですが、自分なりに考えてみたいと思います。
でも、その深い話の切り口は無数にあります。
ここでは、江戸時代の『儒学』を切り口に解析してみようと思います。
以前、中国について考え、儒教のことを調べました。
そして、中国、朝鮮と日本の違いの一つが儒教であると結論づけました。
日本には宗教、慣習としての儒教はなくて、儒学という学問があったのです。
儒教は、孔子の教えを説き、孔子を崇め、その生活様式や態度、規範を規定するものです。その教えはいいんだ、という宗教のことです。なので生活すべてが儒教的となります。一方、儒学は、単に、孔子の教えを理解するための学問にすぎない、ということで、学んだ内容を自身に投影して反芻することが求められます。
その儒学を江戸期の日本人たちは熱心に勉強しました。
幕末の思想家、佐久間象山もその一人です。
自分は、昨年末に信州を旅行してそのことを知りました。
佐久間象山のような思想家は江戸期の教育によって生まれました。江戸幕府による官立の学校、昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ、または昌平黌)。あるいは、民間でも大坂に懐徳堂(かいとくどう)という学問所が設立されました。地方では、おのおのの藩に藩校(はんこう)が競って開かれました。藩士の子弟は皆強制的に入学させられ、藩士に月謝の支払い義務はない上に、成績優秀者には藩から就学支援金を給し、江戸等に遊学させることもあったそうです。各地の藩が国元や江戸藩邸に設立した藩校は約270校にのぼるそうです。代表的な藩校としては、会津藩の日新館(今の福島県立会津高等学校)、米沢藩の興譲館(今の山形県立米沢興譲館高等学校)、長州藩の明倫館(今の山口大学経済学部)、中津藩の進脩館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の藩校時習館、鹿児島藩(薩摩藩)の造士館などがあります。これらの学校は、今でも高校や大学となっており長い教育の歴史を感じさせます。
江戸期の武士達が主にそこで教育を受けたわけですが、町人であっても民間の学校があり、そこで学んでいました。
したがって、江戸期の教養というのは、『儒学』であることは間違いありません。
そして、その儒学が教えるところは・・・
人は、「仁・義・礼・智・信」からなる「五常」を守ることで、「五倫」という自身と関わり合う「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を良好に保つことに努めなければならない、
五常を簡単に説明します。
仁・・・人を愛し、思いやること。「五常」の中でも特に重んじられている
義・・・利や欲にとらわれず、世のため人のために行動すること。
礼・・・謙遜し、相手に敬意を払って接すること。「仁」を具体的な行動にしたものが礼とされ、後に人と関わるうえで守るべきことを意味するようになります
智・・・偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断すること。
信・・・人を欺かず、人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、誠実であること。
この5つを守れば「五倫」、すなわち父子・君臣・夫婦・長幼・朋友などの人間関係がうまくいく、という考え方です。
どうでしょうか?
今の私たち、日本人の心にも2すっと入ってくる内容のように思えます。
違和感はありません。
できているか、いないかは別として、こうあるべき理想として無理なく受け入れられるように思います。
これが日本人なのだと思うのです。
こうあるべきだという儒学を、決して宗教としてではなく、学ぶべきものとして受け入れた江戸期の儒学教育によって、今の日本人が形成されたのだと自分は思っています。
日本のこと(2)(終わり)
この儒学がたどった江戸期から現代までの歴史を次回以降で振り返り、日本人とは何か、という問いに答えてみようと思っています。