アジア好きのAkiです。
中国について考えてみる、という話です。
この一年、香港を巡る中国のやりざま、を見ていて、
中国とはなんという国か、という想いを強くしました。
以前も、中国については、何度か考えたのですが、もう少し内面に入り込んで考えてみようと思うのです。
思えば、中国という国は、不思議な国です。
中国は漢民族が91%を占めています。
で、この漢民族が古来中国と言う土地をずっと支配していたのかというと、そうでもなく、歴史を紐解くと、異民族による支配の期間があります。
それは、遼・金・元・清の四つの王朝の時代です。
遼(りょう)は、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の王朝で、916年から1125年まで続きました。
つぎの金(1115年 - 1234年)は、中国の北半を支配した女真族の王朝。
元(1271年~1368年)は、中東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがったモンゴル帝国の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域として、東アジアと北アジアを支配したモンゴル人が建てた王朝。
そして、清は1616年に満洲で建国され、1644年から1912年まで中国と蒙古を支配した最後の統一王朝で、満洲族のアイシンギョロ氏(愛新覚羅氏)が建てた王朝。あのラストエンペラーですね。
中国の最初の統一王朝である秦から、現在まで3000年。
その間に異民族による支配は、700年あまりということになります。
この700年は、漢民族ではない他の民族が支配したわけですから、もはや漢民族の国という意味で、中国という国ではない。しかし、今の中華人民共和国が言うところの歴史を見れば、その異民族支配の時期も当然のように中国の歴史と認識されています。
その異民族の「清」の時代、日本で言えば、江戸から昭和初期までの期間を満洲族が支配しました。その間に、東トルキスタンを滅ぼし、新疆ウイグル自治区を併合、さらにチベットに侵攻し、領土の拡大を図ったのです。
そして、清から中華民国、そして中華人民共和国への変化。
異民族による支配からやっと脱却して、漢民族支配に戻ったのですが、異民族であった清の領土はそのまま受け継ぎました。
この興亡を眺めていて、思うのは、中国は、ある民族が生きる国ではなく。
やはり、それは「天下」であって、そこが「一つの世界」だということ。
日本の場合、王朝は天皇家ただ一つ。
中国は、異民族の王朝も含めて、さまざまな支配者が入り乱れました。
それはもう、日本人が考える国というものではなく、権力者の興亡の「広大な舞台」と考えた方がいいのかもしれません。
中越の国境。写真はベトナム側のラオカイから撮影したもの。
川の対岸が、中国・河口の町。
中国を考える(3)(終わり)