Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

ハノイ探訪⑳

久しぶりにベトナムに来ています(2023年11月のことです)。

ベトナムに来た理由の一つは『彼氏に会うため』

 

その彼氏はハノイにいるのですが、とても忙しいみたい。
IT系の仕事をしていて、プロジェクトを2つも担当していて、てんてこ舞い。

 

「スタバで仕事しているけど、来る?」と、やっと連絡があって、
いそいそと出かけました。

 

4年ぶりの再会の割にドライだな。
というか、スタバで再会?
以前は、ハイランドコーヒーでのデートが定番だったのですが。

 

ここはスタバの2F。
外の喧噪がうそのようで、ただ静寂・・・・
勉強している学生や、仕事中の会社員などなど


あ、彼氏がいました。本当に仕事してる。

かっこつけてるのかな。

久しぶりなので、お互い照れくさい。

最初は会話がぎこちない。

でも、すぐ元どおり。

ずっと、日本とベトナムでチャットをしていてお互いの情報は常にシェアしてるし。

 

それでも、最近のこととか、いろいろ話しました。

 

しかし、彼氏には、とんでもないことが起こっていていました。

「僕は全財産を失った」「僕の銀行口座にはお金がない」

なんで?

「いとこにお金を貸して、そのいとこが破産しちゃったんだ」

なんで全部貸したの?

「いとこに頼まれたから」

 

ちょっと前から彼氏は、ビットコインとかに手を出し始めていて、これは危ないなと思って、投資は全財産の1/3までだよ、と言っていたのですが。

でも、そのいとこはほとんど家族同然で、頼まれたら断れなかったようです。以前も親戚が入院したときは、お金を貸していましたね。今回、そのいとこは、オンラインビジネスを始めたのですが、それがうまくいかなかったようです。

 

で、どうするの?

「大丈夫、貯金は全部なくなったけど、月給が入ってくるから毎日の生活に支障はないから」

 

彼氏は、毎年転職していて、そのたびに給料が上がって、今では日本人並みの給料になっているのです。まあ、高給取りだから大丈夫か。

 

しかし、彼氏が失ったお金の額を聞いてびっくりしました。

 

こ、こいつ、そんなに貯め込んでいたのか! 

 

ついこの間までマンションを買う計画をしていました。

 

なるほど、マンションも買えるわ。
今はもう買えなくなりましたが。

 

ということで、
彼氏は、今、馬車馬のように働かなければならないのです。

それと、ベトナムの景気が以前ほどではなく、転職先も限られてきているとのこと。

要するに、今までみたいに、いやだからと言う理由で簡単に会社を変われないので、今の仕事を続けてゆくしかない。彼氏は、起業も考えていたみたいなのですが、今回の件で、地道に会社員を続けてゆくことにしたようです。

 

だから、今回の件、社会勉強の高い授業料だった、ということで落ち着きそうです。

 

でも、そのあおりで、今回、わざわざ日本からハノイまできたのに彼氏とのデートもままならない、というのが実情なのです(泣)。

 

それと・・・

実は、この話は以前から少し聞いていて、彼氏のピンチ、ということで今回、少しまとまったお金を持ってきました(ベトナムに無申告で持ち込みができる外貨の限度内なのでそれほどの額ではないのですが)。

ちょっと早いけど、テトのお年玉、と言って渡そうとしたのですが、
受け取ってくれませんでした。

 

我々のつきあいでは、お金のやりとりは決してしない、
今回もそうでした。

 

その点、彼氏は以前とまったく同じでした。

 

ただ、自分達の関係はなんだろう、と考えてしまいました。
お金の貸し借りはしない、というのは健全でいいのですが、
もしかして、自分は、彼氏にとって親戚以下の遠い存在なのかな、とか。
あくまでも、テンポラリーな関係に過ぎないのか、とか。

 

4年ぶりに、彼氏とリアルに会えて、

リアルにハグして、

リアルにキスして、

4年の空白が一気に、なくなったような・・・

 

でも、彼氏は、より責任のある仕事を任されて、顔がビジネスマンになっていました。

 

(The LOVE,  drawn by Aki)

 


それが、大きな変化かな。 

で、そのビジネスライクな雰囲気が少し寂しい。

 

ハノイ探訪⑳(終わり)

 

これで旅行記?『ハノイ探訪』を終わります。
読んでいただいてどうもありがとうございました。

 

ハノイ探訪⑲

2023年11月のハノイ探訪。

 

ドンスアン市場(Chợ Đồng Xuân)に来ました。

 


とりあえず、来ましたけど、
ごちゃごちゃしているだけ。
特に買うものもないので、早々に退散。

よくガイドブックに、ここでお土産を買える、とか書いているのですが
どうかな

 

ハノイ探訪⑲(終わり)

ハノイ探訪⑱

2023年11月のハノイ探訪。

 

あいかわらずのハノイ旧市街ですが、
鉄道が通っています。

 

これは、ハノイ駅 (Ga Hà Nội)から北へ向かう線路。

 

2019年の夏、彼氏と一緒にSAPAに行ったのですが、この鉄道に乗っていきました。

 

で、その古い線路を支える石作りのアーチ。
そこに絵が描かれています。

面白いですね。

・・・アート。

 

これは、本当のアーチで、通り抜けられます。
バイクの列とおばさんが見えますね。

 

これはこれで、絵になっているかな。


ハノイ探訪⑱(終わり)

ハノイ探訪⑰

2023年11月のハノイ探訪。

 

ハノイの文廟(Văn Miếu)に来ました。

孔子が祀られているベトナム最古の大学跡地ですね。

 

廟の両側には、石碑『進士題名碑』が並んでいます。
進士とは、官吏登用試験である科挙に合格した人のことです。

 

ベトナム科挙は1075年に始まりました。当初受験者の対象は上層階級だけでしたが、その後門戸が広げられました。15世紀になって試験は3年毎に行うこととなり、合格者も増えました。ベトナム科挙は、1905年に中国で科挙が滅んだのちも続いて1919年に廃止されました。

 

その先には孔子廟

ハノイの文廟は1070年、李朝第三代皇帝リー・タイントン(李聖宗 Lý Thánh Tông)により建立されたと言われています。当時は、仏教・道教儒教の「三教同源」で、中でも仏教勢力がとても強大でした。そのため、「君に忠」を大原則とする観念的な儒教の教えが支配的となることはなかったようです。これは、ベトナムにとって幸いだったのかもしれません。



文廟の拝観を終わって外へ。
11月なんですが、まだ、暑いですね。

 

ハノイ探訪⑰(終わり)

ハノイ探訪⑯

2023年11月のハノイ探訪。

 

あいかわらず、ハノイ旧市街を探訪しています。

というか、さまよっている、といった方がいいかも。

 

唐突ですが、街の色を拾ってみました。

 

街にある色ですが、原色、特に暖色系が多い。
やっぱり、気候と関係しているのかな。

 

ほぼ国旗と同じ色。赤と黄色が多いようです。

 

現行国旗は、金星紅旗と言われ、その国旗は、長方形で、赤い背景の中心には五つの尖端を持つ黄色の星がある。

赤色は独立の為に人民が流した血と社会主義を象徴しており、星は共産党共産主義)による国家指導を表し、星の黄色は革命を、星から出る五芒(五本の光)は、『労働者・農民・兵士・商人・知識人』を表しているそうです。

 

赤は、独立の血の色、でも黄色は共産党だけかな?
ベトナムの大地、村、人の心の色のような気もしますが。

 

ハノイ探訪⑯(終わり)

ハノイ探訪⑮

2023年11月のハノイ探訪。

 

ホテルの部屋でパソコン相手に仕事しつつ、テレビをつけてます。

BGMのつもりなのですが、聞き入ってしまいました。

内容は全然わかりません。

歌劇なんですね。お芝居をしつつ、ときどき男女が歌を歌う。

それはわかります。

でも、何を言っているのかはさすがにベトナム語ビギナーではわかりません。

 

でもね。

見入ってしまって、聞き入ってしまうんです。

これはベトナムの伝統的歌劇のチェオ(Cheo)?
彼氏に聞いたら、服装や兵士の恰好が現代だからチェオ(Cheo)じゃない、と言ってました。

よくわかりませんが、そのベトナム語がとても心地良い。

あの悪魔のベトナム語(Tiếng Việt、Chữ Quốc Ngữ) の6つの声調(Thanh điệu)。

 

その音がきれいだな、と初めて思ったのでした。

 

ハノイ探訪⑮(終わり)

ハノイ探訪⑭

2023年11月のハノイ探訪。

 

ここは、ハノイのホテルのバルコニーです。
街歩きに疲れたので、部屋でベトナムの歴史を読んでいます。

 



この本です。

日本にいたときに買ったのですが、まったく読めず、ページをめくるとすぐ眠くなったものです。

 

でも、ベトナムハノイで読むと、面白い。
どんどん読み進めました。

 

ハノイ滞在の初日に、ベトナム国立歴史博物館(Bảo tàng Lịch sử Quốc gia)を訪れました。
たしか、8年前にも来たので、久々の再訪となります。

 

 




 

ハノイから見たベトナムの歴史は、

「北属」と「南進」

北(中国)に属し、南(チャム・カンボジア)を侵す。

ただ、その北属は、ただ中国に従属するということではなく、
独立を維持しつつ、中華秩序には従う、という姿勢は示す、ということです。

 

その独立のために血みどろの戦いを中国相手に繰り広げています。

たとえば、博物館のジオラマで展示されている『バクダンの戦い』(Trận Bạch Đằng)。

938年にベトナムで行われた呉朝ベトナム軍と中国・南漢軍との戦いで、南漢の水軍は、海からバクダン川を遡り紅河デルタの中心(ハノイ方面)へ進撃しようとしたが、ベトナム軍はハロン湾付近のバクダン川河口でこれを迎え撃った。数の上では南漢が優位であったが、ベトナム軍は南漢を打ち破り、1000年近いベトナムに対する中国の支配体制は終焉し、ベトナムは独立を達成したのでした。

 

1288年にも、同じく『バクダンの戦い』(Trận Bạch Đằng)が繰り広げられています。陳朝ベトナム軍と中国・元軍との戦いです(ベトナムに対する元寇)。

ベトナムに侵攻した元軍に対して、ベトナム軍はバクダン川の潮位の上下を日々調べさせ、川底に杭を打ち伏兵を配した。元軍はその糧秣を積んだ船をバクダン川を遡上させて運送したが、その船が杭を打ち込んだ地点に差し掛かると、ベトナム軍の軽舟が出撃し、すぐに負けを装って後退した。追撃した元軍が伏兵された地点にたどり着くと、両岸から何千もの陳軍の小舟がなだれ込んできた。それは、ちょうど潮が引きはじめた時刻だった。元軍の船団は慌てて退却したが、干潮で水位が下がり顕わになった川底の杭に退路を阻まれ、多くの船が壊れて沈没するに至った。さらにベトナム軍は火をつけた筏を潮に乗せて流し、船団を炎上させた。生き残った元軍の兵士は川岸へと逃げたが、伏兵していた歩兵による奇襲攻撃を受け、元軍の水兵は全滅した。

 

中国とは何度も戦火を交えているのすが(最近では1979年にも中越戦争をやってます)、その都度、関係を修復し、華夷秩序(中華)の確認を行うことで、中国の面子をたてています。

 

それが、『この国のかたち』

 

ベトナムを知り始めた頃、やはりハノイの一柱寺あたりで、客待ちをしているバイクタクシー(セオム、Xe ôm)の運転手に話しかけられて、

「俺たちは、中国の元軍をやっつけて退散させたんだぜ。日本は、神風が吹いたおかげで、勝てたんだろ」、てなことを言われましたね。

この『バクダンの戦い』は国の姿勢を決める決定的な出来事だったようです。

中国のあと、フランス、日本、アメリカの支配を受けたのですが、いずれの戦いにも勝って、独立を維持することに成功しています。

 

それがベトナム

 

独立は毅然として勝ち取るもの。
それがこの国の常識なんですね。


しかし、この歴史はハノイから見た歴史(北属南進)であり、南進された南部メコンデルタ(旧サイゴン、HCMC)からは、また違った見方の歴史があるかもしれませんが。

 

 

ハノイ探訪⑭(終わり)