日本人のAkiです。
日本と日本人について考えて、今、まとめようとしています。
それで、元々、このブログ、『日本のこと』を書き始めた理由は・・・・・.
自分は海外旅行が好きで、よく外国に行きます。そのとき、どうしても、『自分は日本人である』という意識を強く持ちます。それで、日本人とはなんだろう、と漠然とした疑問がわいてきます。
で、その答えを探しはじめたわけです・・・・
なので、その答えを最後に書かなければなりません。
日本は島国で、そこそこの面積で、多くの人が住んできました。それは一つの世界を形成できるほどの規模だと思います。で、思想的には、そのほとんどが外来のものです。仏教しかり、儒教しかり。しかしながら、島国であったが故に、好きなものを取捨選択できました。儒教では、なんとなくその宗教臭や慣習がいやで、『儒学』という学問のみを取り入れました。当時はすでに仏教が伝来しており、また古来からの神道(シャーマニズム由来)もありましたので。で、その儒学は主に朱子学でした。でも、その朱子学は武家政権である江戸幕府が推奨したこともあって、やはり日本風にアレンジされていったと思います。そして、鎌倉時代以降の『武士道』(御恩と奉公)とも影響しあって、この朱子学をベースに日本人の思想が形成されたのだと思うのです。
これが、元々の日本で、日本人。
江戸幕府は300年弱で崩壊しました。そのときは、朱子学ではなく、同じ儒学ではあるのですが陽明学の影響が大でした。しかし、その陽明学は朱子学の素養によって裏打ちされたものでした。その後、その朱子学による裏打ちは姿を消し、陽明学的な思想のみが、軍人を中心に影響を与え、破滅的な行動をとるようになります。最終的には第二次世界大戦での敗戦ということになるのですが、その影響はその後まで続きました。戦後の高度経済成長も、実はその陽明学の流れに沿ったものだと思います。
それで、それもやっと終わりつつあって、日本は、かつて自身がアレンジした朱子学の穏やかな時代に戻りつつあるように思います。
日本と日本人、おそらく日本には固有の思想はなく、無思想の国、民族だと思います。なんでも取り入れてアレンジしてしまう、強いて言えば、それが日本固有の思想。
それで、いままで取り入れた中で、一番、居心地のいいのが朱子学。
好むと好まざわるに関わらず、それが日本人のこころだと思います。
仁・・・人を愛し、思いやること。
義・・・利や欲にとらわれず、世のため人のために行動すること。
礼・・・謙遜し、相手に敬意を払って接すること。「仁」を具体的な行動にしたものが礼とされ、人と関わるうえで守るべきことを意味する
智・・・偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで、善悪を判断すること。
信・・・人を欺かず、人からは信頼してもらえるように常に約束を守り、誠実であること。
今でも、違和感はありません。
こうあるべきと、素直に思います。
今でも、そう感じること、それは紛れもなく、日本人が純粋に朱子学の熱心な信奉者であることを示しているのだと思います。それで、日本人がアレンジした朱子学は、明らかに中国、朝鮮とはまったく違う思想となったのだと思うのです。
そして、令和の時代の朱子学は、当たり前ですが江戸時代のものとは違っていて、またアレンジされ続けてゆくものだということです。
日本のこと、とりあえず書いて、まとめてみました。
一応は、自分の中での整理がついたような気がします。
日本、日本人とはなにか?
『中国から伝わった儒学・朱子学を学び、日本にあうようにアレンジし、そして、その精神を忠実に守ろうとする国、民族』 と、いうことになります。
日本のこと(8)(終わり)
(あとがき)今回で日本のことを終わります。なんとなく、日本、日本人とは、について一つの答えがでたように思いますが、さてどんなもんでしょうか? 今は、昭和、平成を経て令和となり、高度経済成長もとっくに終わって、GDPも下り坂となっています。
それは実は、思想的には陽明学的な行動の時代が終わって、単に江戸時代以前に戻りつつあるのではないかと思います(活動的な時代から穏やかな時代へ、陽明学から朱子学へ、しかしアレンジは、され続けてゆく)。それが、ただ単にGDPの下降に表れているだけのように思えます。そして、それは、決して悪いことではなく、日本人本来の姿にたち戻るということに過ぎない、と思うのです。
しかし、自分は歴史学者でもなく、ただの技術者です。思いつくままに、自分が納得できるだけの為に書きました。たぶん、異論もあると思います。でも、今のコロナ禍とコロナ以後を想うと、日本が本来の姿に戻ることが加速されるのではないでしょうか。そんな予感がします。