アジア好きのAkiです。
東南アジアは大好きなのですが、東アジア、とくに中国と南北朝鮮は、かなり屈折したというか、複雑な視点から見ています。
複雑な視点というのは、これらの国に、親戚のような親しみを感じたいのだけれど、心の底から信用できない、そんな気持ちを持ちながら、これらの国々を眺める、ということです。
そのうちの中国についてまた考えてみます。
彼らの言動や行動、そのずうずしさ、厚かましさ、あるいは残虐性にはいつも驚かされます。
なぜ、そんなことを平気で言えるのか、平気でやれるのか、理解に苦しむ場面が多い。
我々、日本人には絶対理解できない、なにかがある。
なんだろうな、と考えていて、それは、『普遍性』かな、と思い当たりました。
※普遍性;すべての物事に通じる性質。また、すべての物事に適合する性質。
自分が考えること、言うこと、行動する内容は、すべての物事に適合する、要するに絶対自分が正しいということ、その正しさは、世界共通であるべき、ということです。
それは、中国人のいう世界とは中国のみ、であって、そのほかの国の存在を認めない、ということにもつながります。
18~20世紀はアングロサクソンの時代で、スペインからイギリスが覇権を奪いとり、ついでアメリカが台頭してきました。これは結局、アングロサクソンが、彼らの持つ普遍性を広げ、それを世界に根付かせることに成功したからだと思います。そして、今、我々は、そのアングロサクソンの普遍性の中で、常識的に、秩序を保ち、暮らしているわけです。
米中の覇権争いは、結局は普遍性の戦いでもあり、アングロサクソンと中華との争いです。しかし、中国が説くところの普遍性は容易に世界に受け入れられるものではないと思います。
アングロサクソンの世界覇権、1588年にイギリスがスペインの無敵艦隊を破ったときを始まりとすると、今のアメリカまで、実に450年ほど。それをひっくり返す話です。
中国は共産主義でもなんでもなく、単に中華の国。かつてのイギリスやアメリカのように文明の輝きや明るさは感じられません。そんな中華の国が、世界覇権を確立できるとは決して思えないのです。
ちなみに、日本に乗り込んできて、傲岸不遜な発言を平気でやる王毅外相。
中国を考える(1)(終わり)