アイルランドという国に興味を持つようになり、いろいろ調べているAkiです。
今回は、アイルランドの人、サミュエル・ベケット(Samuel Beckett, 1906年4月13日 - 1989年12月22日)についてです。
国籍はアイルランドなのですが、フランスの劇作家として知られています。『不条理演劇』を代表する作家、20世紀フランスを代表する劇作家として知られていて、1969年にノーベル文学賞を受賞しています。
その代表作は、 戯曲『ゴドーを待ちながら』(En attendant Godot)です。
2幕劇で、木が一本立つ田舎の一本道が舞台。 第1幕ではウラディミールとエストラゴンという2人の浮浪者がゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはなく、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにポッツォと従者・ラッキーがやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、市場に売りに行く途中だとポッツォは言う。ラッキーはポッツォの命ずるまま踊ったりするが、「考えろ!」と命令されて突然、哲学的な演説を始める。ポッツォとラッキーが去った後、使者の少年がやってきて、今日は来ないが明日は来る、というゴドーの伝言を告げる。これで第1幕は終わり。
第2幕でも、ウラディミールとエストラゴンがゴドーを待っている。そして1幕と同様に、ポッツォとラッキーが来るが、ポッツォは盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。2人が去った後に使者の少年がやってくる。ウラディミールとエストラゴンは自殺を試みるが失敗し、幕になる。
という不条理演劇です。
※不条理演劇;人が生きる上での不条理(非論理的、筋道が通らない)さ、人生の無意味さ、目的や意義のなさをテーマにした演劇のこと。
この戯曲に対する評価ですが、
2人が待ち続けるゴドー(Godot)は英語の神(God)を意味するという説が有力とされていますが、ゴドーが実際に何者であるかは劇中で明らかにされず、解釈はそれぞれの観客に委ねられています。木一本だけの背景は空虚感を表し、似たような展開が2度繰り返されることで永遠の繰り返しが暗示される。
神を信じて、待っているが、結局神は来ない、でも待っている、
そんな人の姿を現しているそうです。
それは、誰もが一度は感じたこと、絶望感であったり、期待して、裏切られて、がっかりしたこと。
だから、誰しもが共感できる戯曲。
作者のサミュエル・ベケットの経歴です。
ベケットは、1906年、アイルランドのダブリン州フォックスロックに生まれました。中流家庭でプロテスタントの家系です。1598年のナントの勅令でアイルランドに亡命したユグノーの子孫と伝えられているそうです。
※ユグノー;フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義)、プロテスタント。カトリック国であるフランスで迫害され、列強各国へ亡命した。
1923年~1927年 ダブリン、トリニティカレッジ、英語、仏語、イタリア語を学ぶ
1928年~1930年 パリ高等師範学校教師
1930年~1933年 ダブリン、トリニティカレッジ、講師
1937年~ パリ定住
1939年 第二次世界大戦が勃発
1940年 ナチス・ドイツがフランスに侵攻し、パリを占領
大戦中;
フランスのレジスタンスグループに加入。ナチスに対する抵抗運動に参加
その後パリ脱出。田園地帯を数か月放浪の後、ヴォクリューズ県の小コミューンであるルシヨンに2年半潜伏
大戦後;
1952年 戯曲『ゴドーを待ちながら』を発表。その新しさと普遍性によって彼の作品の中でもっとも著名なものとなる。
1959年 母校のトリニティ・カレッジより名誉博士号を授与
1969年 ノーベル文学賞を受賞。文学や戯曲の分野で、新しい表現方法を切り開いたことがその理由。
1989年 死去。遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬される
サミュエル・ベケット
それは、アイルランドにとって、イギリスからの独立戦争の時代です。
※1916年、アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される(イースター蜂起)。アイルランド独立戦争(1919年 - 1921年)が終わり、1921年12月6日英愛条約が締結され、1922年12月6日アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスター地方の6州は北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。1931年、ウェストミンスター憲章が成立、イギリスと対等な主権国家(英連邦王国)となる。1937年、アイルランド憲法を施行、国号をアイルランドと改める。1938年、イギリスが独立を承認。イギリス連邦内の共和国として、実質的元首の大統領と儀礼的君主の国王の双方を戴く。
大きくは、プロテスタントであるイギリスと、カトリックであるアイルランドの対立であったわけですが、ベケットはアイルランド人でありながらプロテスタントでした。アイルランド人としてのアイデンティティーに少し、屈折したものがあったかもしれません。でも、彼はアイルランドの戦争を身近で経験しています。その後、フランスに渡り、パリで第二次世界大戦、ドイツによる占領を経験します。
その時代、不条理なことだらけだったと思います。
その不条理さを戯曲に表して、神も仏もないものだよ、とシニカルに言い放つ。それが、戯曲『ゴドーを待ちながら』ということなのだと自分は思います。
なかなか日本人には理解しにくい内容のように思うのですが、ヨーロッパ人の信仰とその歴史を思うと、なんとなくわかるような気もします。
それと、この戯曲で、信仰をシニカルに表現すること、そのシニカルさはアイリッシュ特有のもののようにも思いました。
さて、どうでしょうか?