日本人のAkiです。
ずっと、日本や日本人について考え、儒学(朱子学と陽明学)の日本人に対する影響というものを考えています。
幕末から明治維新について、尊王攘夷から突如、開国、西欧化へ舵をきった日本。
実に不思議です。
江戸幕府は黒船来航などの外圧に耐え切れず、開国策をとろうとしました。
一方、外国を夷狄(いてき)として嫌う勢力は、尊王攘夷を唱えました。
尊王攘夷とは、天皇を敬い、夷狄(いてき)を打ち払え、ということです。
幕末は、幕府(開国)vs 薩長(尊王攘夷)の戦いであったはずです。
しかしながら、幕府が瓦解し、薩長が勝利すると、現実的な尊王開国路線を突然始めたのです。
この、変わり身の早さはどうなのか。
実に不思議に思うのです。
薩長の指導者たちは、幼少期、おのおのの藩校で儒学、朱子学を学びました。
例えば、論語;
・義を見てせざるは勇無きなり
・巧言令色鮮し仁
・良薬は口に苦くして病に利あり
・忠言は耳に逆らいて行いに利あり
・悪に報いるには正義をもってし、善に報いるには善をもってせよ。
江戸幕府が推奨した学問ですが、人の道として十分納得できます。でも、外圧という現実に対して、これだけでは対処できません。『行動・実行することが肝要』という陽明学の思想から言えば、今こそ、行動すべき、ということになります。
長州藩の吉田松陰、桂小五郎(木戸孝允)、長井雅楽、越前藩の松平春嶽などは、欧米列強の圧力を排するためには一時的に外国と開国してでも国内統一や富国強兵を優先すべきであるとする「大開国・大攘夷」をとなえ、従来の尊王攘夷の考え方(天皇を敬い、夷狄(いてき)を打ち払う)から変化してゆき、倒幕・開国へと向かってゆきました。尊王攘夷という国粋的な動きをたくみに利用して、幕府を倒し、現実的な方向に転換したのです。
この展開は、江戸幕府が長年教育してきた朱子学では起こりえません。
江戸幕府を倒すということ、現実に即した行動(開国)をとること、
これは陽明学の思想ならではのことではないかと自分は思います。
明治維新の立役者たちは、西郷隆盛をはじめ大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、桂太郎、西園寺公望などなど。彼らのいずれもが、まずは朱子学をよく学んだ人たちです。幕末の思想家、山田方谷が言う通り、まずは朱子学を学び、ついで陽明学に傾倒し、それで彼らは維新の大業に貢献することができたのだと思います。
したがって、明治維新の成功は、時代のうねりの中で、当時の日本人に朱子学の素養があったために、陽明学の過激な思想・行動が、誤れることなく、実行されたことによるものだと考えます。
しかし、成功したとされる明治維新であっても一部では破滅的な出来事もありました。
明治の立役者でもあった西郷隆盛。維新後、西南の役をおこし、新政府と対決し、最後は鹿児島で自刀しました。
また、江藤新平。佐賀の乱をおこし、最後は斬首のうえ梟首となりました。
成功と言われた明治維新なのですが、破滅的な行動は各所で見られたのでした。
したがって明治維新は朱子学的な素養と陽明学の思想が攻めぎ合って、かろうじて行われ、結果として成功したもののように思えるのです。
しかし、明治維新以降、江戸幕府はなく、もちろん朱子学も学ばれることがなくなってゆきます。
次は、明治~大正~昭和の時代をたどってみます。
日本のこと(5)(終わり)
※コロナ禍の中、日本について考えています。でも、『コロナ以後』ということを考えた場合、本来の日本の姿を知ることは十分意味があると思っています。