日本人のAkiです。
自分は海外旅行が好きで、よく外国に行きます。
(しばらくはコロナウイルスの影響で行けませんが)
そのとき、どうしても、『自分は日本人である』という意識を強く持ちます。
周りは外人ばっかりですからね。
それで、日本人とはなんだろう、と漠然とした疑問がわいてきます。
で、その答えを探しています。
そして、その答えを、今の日本人の考え方、行動様式の元であろう『儒学』に求め、自分なりに、今、考えているのです。
日本へ儒教が伝わったのは仏教よりも早く、513年。5世紀頃には伝来していたものと考えられています。 日本では中国と違って科挙制度(隋から清の時代まで約1300年間にわたって行われた官僚登用試験)が取り入れられなかったためか儒教本来の価値は定着しなかったそうです。しかし、南北朝から室町時代にかけて京都五山や鎌倉五山などの禅宗寺院で、儒教ではなく『儒学』が研究されました。
戦国時代や安土桃山時代を経て、江戸時代になると、それまで、仏教の僧侶が学ぶ儒教から独立させ、一つの学問とする動きがあらわれました。中国と朝鮮から、儒学の一派として朱子学と陽明学が純粋な学問として伝来し、特に朱子学は江戸幕府によって封建支配のための思想として採用されました。戦国期の儒学者である藤原惺窩(ふじわらせいか)の弟子である林羅山(はやしらざん)が徳川家康に仕え、幕府の文教政策を指導したのです。
身分秩序や格物致知、理気二元論といった考え方を重視し、特に身分秩序に関しては、自然や万物に上下関係・尊卑があるように人間社会にもそのような差別があってしかるべきという学問です。具体的にその上下関係は「礼」として扱われ、「敬(つつしみ)」を持ち、礼をわきまえ、主君に従うことを説いています。江戸幕府により、この朱子学が採用され、秩序に重んじた保守的な体制を作り上げることに成功しました。
なので朱子学は統治の道具であったわけです。
それは幕府によるある種の洗脳教育であったのかもしれませんが、とにかく日本人は儒学、朱子学を一生懸命、勉強したのです。
儒学の一派として、朱子学のほかに陽明学も伝来しました。
陽明学 とは、その名の通り明の王陽明が始めた学問で、行動派知識人を育成するものです。幕府が推奨する朱子学を否定して生まれた思想で、その中心には「孝」を掲げています。これは、単純に「親孝行する」という意味のみならず、周囲の人間との関係性を重視し誰とでも懇ろに親しみ、上の者を敬い、下の者を軽んじ侮らないこと即ち「愛敬」を具体的な実践として説いています。朱子学の「礼」という形式的なものでない、自由な心から生まれる心の正しさを尊重し、行動・実行することが肝要だとしています。
なので、簡単に書いてしまうと、
中国・朝鮮からの儒教が伝来
⇒ 一応、日本は受け入れたが、宗教や社会規範としての儒教は拒絶
⇒ ただし、儒学という学問のみを受け入れた
⇒ 江戸期の武士や町人の一部は朱子学を熱心に学ぶ
⇒ その反発で陽明学が幕末にかけて大いに学ばれる
⇒ 陽明学の教えである『行動・実行することが肝要』という思想に従った行動により江戸幕府が倒れ、明治維新がおこる?
儒学者としては、藤原惺窩、林羅山、陽明学者としては、中江藤樹、熊沢蕃山、山田方谷などがいます。また、陽明学の影響を受けた幕末の志士たち、 吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山など多くの人がいます。
なので、儒学の一派である陽明学が、思想的に日本の転換に大きな影響を与えたことは間違いないように思います。
日本人にはベースとして朱子学の素養があって、ときとして、 ある意味、過激な陽明学の影響を受け、近代日本の歴史が動いてきたように思えるのです。
日本のこと(3)(終わり)