Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

ウクライナとベトナム

Akiです。

久々の投稿です。
前回が、8/14だったので、もう一か月以上書いていません。

仕事が忙しくて(汗)・・・

 

また、ぼちぼち書いていきます。

 

今日はウクライナのこと。

今までも、ロシアの非道について書いているのですが。
ベトナムにいる彼氏とは、この話はしないようにしています。

 

tuaki.hatenablog.com

 

認識がぜんぜん違う。

Aki(自分)「ウクライナへのロシア侵攻だけど、どう思う?」

ベトナム人彼氏「侵攻じゃない、特別軍事作戦だよ」

という会話で、一瞬で途切れました。

ベトナムはロシアと仲良しなんですね。

もともと政治には興味ない彼氏なのですが、なんとなく「ロシア、がんばれ!」の姿勢のようです。彼氏も、日本を含む西側諸国との違いを感じているようで、ウクライナの話は、ぜんぜんしません。認識が違うので、話をしても仕方がない、ということのようです。

 

ウクライナベトナム(終わり)

ハイブリッドキャリア

ベトナムハノイに彼氏がいるAkiです。
その働き方は、ダイナミックで、日本人とは明らかに違う
と、思っています。



以前、自分は、年上の彼氏として『石の上にも3年』とか言ってベトナム人彼氏に訓戒を垂れていたのですが、やつは、そんなことをぜんぜん気にせず、大学卒業後、元気に毎年転職を繰り返しています。

大学で勉強していたのは経済で、ベトナム社会主義国なのでマルクス経済学も勉強したらしいのですが、一生懸命やったのは英語の勉強なのだそうです。

大学卒業後は、とりあえず日系企業に勤務したのですが、IT関係の技術を勉強して、ERP(Enterprise Resource Planning、企業資源計画)システムの会社(ベトナム系)に転職しました。

そのあと、ハノイでデートしているときに、
「僕は海外勤務になったよ」と突然言われて、びっくりしました。自分から希望したのだそうです。

ただでさえ、遠距離なのにもっと遠くなってしまうと、ちょっぴり寂しく思ったのですが、その後は、ベトナム以外の国で楽しくデートすることができました。

 

で、彼氏は2回の海外勤務を経て、またハノイに戻り、IT系の企業で何社か働いて、今に至っています。

 

今の会社は副業してもいい、ということで、以前勤めていた会社からの仕事を請け負ったりして、抜け目なくお金を稼いでいます。

目まぐるしく転職を繰り返したのですが、結局、人脈や仕事の領域を広げ、ステップアップに成功しているようです。

 

固定給+アルファが得られ、
結果として、ハイブリッドキャリアの働き方になっています。

 

最終的には、起業するのかな。
そんな気がします。

 

ハイブリッドキャリア(終わり)

ペロシ議長の台湾訪問

先日、アメリカ下院の議長であるペロシ氏が台湾を訪問しました。

 

ペロシ議長は声明で、以下を発表し、今回の台湾訪問の意味を説明しました。
(1)安全保障に関して、脅威に直面する台湾が自由を守るのを支援するという米国議会の継続的なコミットメントを再確認
(2)経済に関して、米国議会が7月末に可決した「CHIPSおよび科学法案」がいかに両国・地域の経済強化に大きな役割を果たすかを伝えるとともに、6月に立ち上がった新たな通商枠組み「21世紀の貿易に関する米国・台湾イニシアチブ」への支持を表明、(3)ガバナンスに関して、台湾の新型コロナウイルス対策を称賛するとともに、気候危機を含む優先課題における協力の継続を確認した。

www.jetro.go.jp

 

その後、ペロシ議長の訪台に怒った中国は、台湾周辺を包囲するかのような大規模な軍事演習を行いました。

 

www.nikkei.com

 

台湾をぐるっと囲んだ演習でした。演習には東側の海域も含まれ、日本領土である宮古島西表島から100kmも離れていません。事実、演習時には、中国の無人機が沖縄本島宮古島の間を公然と飛行したそうです。

演習は、ペロシ議長を受け入れた台湾に対する中国の恫喝を目的としたもので、8月10日に終了しました。ペロシは台湾訪問後、韓国を訪れたのですが、ユン大統領は会談を行いませんでした。韓国訪問後は、日本を訪れ、岸田首相と面談しました。

 

要するに、ペロシ下院議長は、アメリカ議会の代表(政府ではなく)として電撃的に台湾を訪問し、中国から台湾を守る、という意思を表明したわけです。

中国としては、『一つの中国の原則』に基づき中華民国(台湾)の存在は認めておらず、台湾が独立国家として振舞うこと(外交すること)を排除しようとしています。したがって、アメリカのペロシ議長の訪台とその台湾応援の姿勢は中国にとって苦々しく、許せないわけです。

中国の主張は、この『一つの中国の原則』の下、台湾を支配していないにもかかわらず(中華民国、台湾政府が統治している)、台湾は「中国」領土の一部であり、その全体が「中国」という主権国家であるとしています。さらに中国内戦を経て、中華人民共和国(中国)は自国政府が「中国」の政府として中華民国を継承したもので、台湾を拠点とする現在の中華民国政府は違法政権であって、取って代わられるべきであるという主張を繰り返しています。

 

しかしながら、今の中国の思考、行動を見ると、その主張は単に『中国の膨張』の発露でしかないように思えます。

 

台湾は元はと言えば、日清戦争で、清(当時)が日本に敗れ、1895年に清から日本に割譲されたものです。その後の太平洋戦争での日本の敗戦、さらに中国本土での国共内戦(国民党と共産党との間での戦争)の結果、敗れた国民党が台湾に逃れ、政権を打ち立て、”国”が成立しました。その国民党は、当初は独裁政治を行っていたのですが、1989年ころには民主化され、以降は、国民党のほかに民主進歩党などが政権を担うようになったのです(現総統の蔡英文民主進歩党)。台湾が中国から離れて、実に130年余り、それだけの歴史がすでに台湾にあって、国として成立していながら、これを今なお併合しようとする中国は『覇』を唱えているにすぎない、と思います。

 

仮に中国が台湾を軍事的に吸収できたとしても、その膨張は留まることはなく、おそらく、次のターゲットとして、尖閣諸島を含めた沖縄に向かうのではないかと思います。沖縄は、かつての『琉球王国』であり、1872年の琉球処分により、当時の清への朝貢を辞めて、日本領となった経緯があります。したがって、これも『一つの中国の原則』となりうる可能性があるわけです。中国やアメリカの台湾を巡る駆け引きは、直接日本に関わってくるものなのです。

 

日本の岸田首相は、ペロシ議長と会談しましたが、お隣の韓国のユン大統領は直接面談せず冷たくあしらいました。これは、中国から、よくやったと評価されたそうです。韓国にしてみれば、日本とは異なり、台湾問題は対岸の火事にすぎず、これに関わって中国の機嫌を損ねたくない、というわけです。

韓国・朝鮮は中国と国境を接しており、かつての李氏朝鮮の時代(1392年~1910年)には当時の中国の明・清朝朝貢を行ってきました。また、長い歴史の中で中国による直接支配を受けた時代もありました(漢、唐、元朝などによる)。このきわどい関係性からすれば、火の粉が自分に降りかかる可能性もあり、うっかり動けない、ということです。

※現在の北朝鮮の一部である楽浪郡(らくろうぐん)は、漢朝によって設置され、紀元前108年から西暦313年まで存在した朝鮮半島における中国の植民地もしくは領土とされており、これをネタに『一つの中国の原則』のターゲットになりかねない。

 

日本は、その長い歴史の中で、わずかな例外(遣唐使室町時代勘合貿易)はあるものの中国への朝貢は行ってきませんでした。その歴史的経緯からしても、日本が中国に屈することはありえず、アメリカとともに台湾を守ることは、必然であり、岸田首相がペロシ議長と会談したことは極めて適切だったと思います。

 

ペロシ議長の台湾訪問(終わり)

彼氏のこと(58)

Akiです。
また、ベトナム人彼氏のことについてです。

 

相変わらず、超遠距離恋愛で付き合っています。


やつはハノイに住んでいて、IT系のコンサルタントとして真面目に働いているのですが、働き方がベトナム人らしい。

ほぼ一年ごとに転職していて、もう、5、6社で働いています。
一番最初は日系企業、そのあとは、ベトナムのIT企業とか、

途中まで彼氏の勤務先の名前を全部覚えていたのですが、最近はもう覚えきれません。

 

毎年毎年、よく転職先が見つかるものだと思うのですが、ベトナムでは、日本と違って特に忠誠心のかけらを求められることもなく、即戦力であれば問題なし、のようです。

それで、最近では、会社勤務をしつつ、別の会社の仕事も始めました。以前、勤めていた会社から頼まれたのだそうです。さらに、別の会社から引き抜きの打診もあって、またまた、どうしようか考えています。ビジネス/リクルート系のSNSに登録しておくと意外とオファーが来るようです。

 

結局、それだけ転職を繰り返して、給料は大卒時と比べて、3~4倍になりました。
彼氏の、めまぐるしい転職はもくろみどおり進んでいたようです。

 

その給料の額は、もはや日本と大差ありません。

 

以前は、定時で終わることがMUSTで、絶対、残業はしない人だったのですが、最近は、2-3時間程度の残業をするようになりました。

 

それも、日本と似たようなもの。
コロナ禍であえいでいる日本を尻目に、ベトナムは猛烈なスピードで経済成長を続けているようです。

 

そのベトナムの経済成長と、彼氏の残業がリンクしているようにも思えます。

『幸せな生活のために仕事をしてお金を稼ぐ』、というのが彼氏の基本的な考え方なので、どこかで落ち着いて欲しい、と相方としては思うのですが。

 

彼氏のこと(58)(終わり)

ベトナム語を習う(2)

最近、ベトナム語を習っているAkiです。

 

彼氏は、ベトナム人なのですが、英語でお互いの意志疎通はできています。最初は、それでも少しは話せた方がいいだろう、くらいの気持ちでちょっとだけやってみたのですが、ベトナム語の複雑な発音にへきへきして、早々にあきらめました。

 

でも。

 

彼氏がベトナム人で、これからもベトナムに行くことがあるし、移住の可能性もあるし、ということで勉強を再開しました。

 

tuaki.hatenablog.com

 

どうせ自分のことだから、途中でいやになって辞めちゃうかな、と思っていたのですが、今のところ、楽しく習っています。

 

ベトナム独特の『6つの声調、12の母音』にはあいかわらず悩まされているのですが、文法は意外と楽なことがわかりました。ベトナム語では、名詞でも動詞でも単語が変化せず、例えば動詞では、その文の主語が単数か複数か、一人称か二人称か三人称かによって後に続く動詞が変わることもなければ、動詞の過去形・未来形といった変化もありません。過去や未来を表したいときには、専用の単語(sẽ、đã)を追加すれば大丈夫なのですね。

そういえば、彼氏も文法は楽だよ、って言ってましたっけ。

 

あと、興味深いのは、日本と似ている『漢字』からの影響

『注意、ちゅうい』は、ベトナム語『 chú ý、チューイー』

また、例えば、以下の言葉・・・

Tôi là học sinh、私は学生です、

học sinhは学生という意味なのですが、これを分解すると、họcが『学』、sinhが『生』になるのだそうです。ということで、この文字を流用すると『大学』はđại học、『生活』がsinh hoạtとなる。

 

ベトナム語学習のゴールは、ハノイのローカル市場で、おばちゃん相手に堂々と値切れるようになる、ということです。

これは、まだまだ、先の話、ですね。


ベトナム語を習う(2)(終わり)

奈良・斑鳩(いかるが)

コロナ禍を避けつつ、国内旅行をしたAkiです。(6月のことです)

 

奈良からJR大和路線に乗って、法隆寺に行ってみました。

法隆寺駅で下車して、歩いて法隆寺まで。
なかなかの距離でしたね。
( バスで行けばよかった)

 

やっと着きました。

 

法隆寺
やっぱり修学旅行の子供たちでいっぱい。

仁王門の金剛力士像、阿吽像(あうん)一対の、うん像ですね。

法隆寺にあるこの回廊がいいですね。


古代ローマから伝わってきたような円柱を用いた建築様式。
天平時代(7世紀ころ)の日本がいかに国際的だったかがよくわかります。

日本の『国風文化』が形成されるのは、まだ先の話(平安時代)。
まして、京都で見られる『わびさび』はもっと先の話です。

ここが、日本の原点かも

 

塔頭の門の屋根瓦。厄除けですね。
いろいろな種類があって面白い。

 

これは夢殿。この中には、聖徳太子の等身の御影と伝わる観音菩薩立像があるのですが、今回は見られず(御開帳は春と秋なのだそうです)。

 

もうちょっと歩いて、中宮寺に来ました。

ここには国宝・木造菩薩半跏像があるのです。

 

 

そして、ここは斑鳩(いかるが)の里。

法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院なのですが、その隙間から、今の里の姿も垣間見れます。

穏やかな生活の匂いがしますね。

 

そのギャップも素敵かな。

奈良・斑鳩(いかるが)(終わり)

 

PS.  コロナ禍の隙間を縫った一瞬の旅でした。また、最近、爆発的に感染者数が増えているので、また巣ごもりします(泣)。

奈良・東大寺あたり

コロナ禍の合間を縫って国内旅行をしているAkiです。(6月のことです)

 

奈良の東大寺に来ました。
ここも好きなお寺なのですが、修学旅行生でいっぱいです。今だったら、外国人観光客もいないし、ゆっくり参拝できると思っていたのですが、学生たちの歓声で静寂がかき消されていました。

 

鹿、鹿、鹿・・・

学生、学生、学生・・・

でも、この修学旅行も『奈良の風景』の一つかな。


喧噪の大仏殿を抜けて、二月堂に足を向けました。お水取り(修二会という法会の中の一行事)をやるところですね。

急に静かになって、気配が大きく変わりました。

この雰囲気も『奈良』かな。

 

奈良・東大寺あたり(終わり)