Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

遠州・新居

静岡県に住んでいて、県内(遠州)を巡っているAkiです。

マイクロツーリズムを実践中なのです。
カメラ片手の撮影旅行です。

 

 ※黒の円内がだいたい遠州地方です

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その円の西の端、少しはみ出てますが、今回は新居です。

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ここは新居の関所ですね。東海道では箱根の関所と並ぶ場所。
唯一、江戸時代の関所の建物が残っています。

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あと、宿場町なので、旅籠があります。
紀伊国屋、建物が保存状態よく残っていました。

紀伊国屋は新居宿にあった、紀州(和歌山)藩の御用宿です。江戸時代、関所を出た新居宿内の東海道沿いには20数件の旅籠(はたご:現在の旅館)が軒を連ねました。紀伊国屋の創業ははっきりしませんが、主人が紀州の出身で、江戸初期に新居に移り住み茶屋を営んだのが始まりといわれます。江戸時代中期の元禄16年(1703)には徳川御三家紀州藩の御用宿となっており、その後「紀伊国屋」の屋号を掲げました。昭和戦後に廃業するまで約250年、旅館業を営みました。建物は明治初めの再建ですが、随所に江戸期の建築様式を色濃く残し、平成13年(2001)に解体修理を行い、当時の風情を体感できる施設として公開。

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あと、新居の町。やたらと小道が多い。
でも、それが昔の宿場町の匂い。

これはいいかな。

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遠州・新居(終わり)

遠州・浜名湖

静岡県に住んでいて、県内(遠州)を巡っているAkiです。

マイクロツーリズムを実践中なのです。カメラ片手の撮影旅行です。

 

 

※黒の円内がだいたい遠州地方f:id:TuAki:20200714084259g:plain

 

浜名湖に2つの城跡があるので、そこに行ってみました。
佐久城址と宇津山城址。

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浜名湖に沿ってドライブです。

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途中、天竜浜名湖鉄道の駅に寄りました。
この鉄道、乗ってみたいのですが、コロナ禍がおさまるまでお預け。

 

浜名湖佐久米駅(はまなこさくめえき)。

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一応、待合室があります。

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待合室から見るプラットホーム。

その向こうはすぐ浜名湖

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駅の待合室でちょっと休憩して、

 

そのあと、佐久城址に行ってみました。

リゾート地のど真ん中。

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なるほど、浜名湖に向かって作られた水城、ですね。

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湖面に目を転じると、ヨットが疾走中。

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あと、鳥たち。

この黒いのは鵜。

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かもめ。

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次に宇津山城址に向かいます。
この半島の先が城跡なのです。

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山の中をかき分けて登ります。

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もちろん、頂上から浜名湖が見えます。
きれい。

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見上げると、とんびが飛んでいます。
のどかな時間がゆっくり過ぎている。

そんな感じ。

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鷹や鷲ではなく、これはとんび、鳶。
尾っぽの形でわかります。

山中には石仏。お寺もあります。

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山を下りて、再び、浜名湖沿いにクルマで移動。

ときどき、小さな船溜まり。

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狭い入り口の向こうに、浜名湖の対岸が見えます。

生活の匂い、がしますね。

 

浜名湖は観光・レジャーだけでなく、漁業も盛んなのです。




遠州浜名湖(終わり)


遠州・三ケ日

静岡県に住んでいて、県内(遠州)を巡っているAkiです。

マイクロツーリズムを実践中なのです。
カメラ片手の撮影旅行です。

 

※黒の円内が遠州地方

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今回は、浜名湖の北西、三ケ日(みっかび)です。
みかんで有名?

 

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浜名惣社神明宮

御祭神は天照皇大御神、浜名の惣社として崇敬されてきた。延喜式神明帳(901〜922)の遠江国浜名郡、英田神社に当り式内社である。本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたと云われ板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で国の重要文化財に指定されている。又、特産である「三ケ日みかん」を伊勢神宮に献納する神社でもある、だそうです。

 

いつ、作られたのかわからない。それほど古い神社。

 

これは拝殿。

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拝殿の右側。鳥居があってその奥に本殿。

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石段の上に本殿があります。ここは立ち入り禁止。

これが国の重要文化財

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本殿は下から見上げるだけです。

入ってはならぬ。そんな場所。

伊勢神宮と同じ空気を感じます。

 

次は、三ケ日のお寺です。

摩訶耶寺(まかやじ)。

摩訶耶寺は神亀3年(726) 行基によって新達寺として開創。富幕山に開創された新達寺は平安時代千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り名を真萱寺へと変え、やがてマカヤ寺と呼ばれるようになり、平安時代末期に一条天皇の勅願により今の場所へと移りました。御本尊の厄除正観世音菩薩秘仏)は奈良時代から今日まで、度重なる兵火・天災から僧たちによって守られ、受け継がれています。庭園は平安末期から鎌倉初期の日本の中世庭園を代表するもので座視鑑賞式池泉庭、だそうです。

 

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入り口の参道。

 

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山門、

やたらと古そうです。

 

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摩訶耶寺の山門。

朝鮮征伐時の影響を受けており、そのため高麗門と言われているそうです。

 

マカヤという寺の名前。なんとなく、古朝鮮の匂いがする。

韓国南部に伽耶山(カヤさん )という山がある。かつては朝鮮八景のひとつに数えられた名山で、1972年には伽耶山国立公園に指定されている。南西麓には新羅時代の古寺・海印寺(ヘインサ)がある。

 

山門をくぐると石仏の群れ。

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それと、有名な庭園。

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また、山中に石仏。

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コロナのせいもあるのかもしれませんが、誰もいません。
拝観料200円をそっと置いて、寺院内を回りました。

暑いけど、とっても満足。

 

遠州・三ケ日(終わり)

パクチー②

ベトナム好きのAkiです。

 

 コロナのせいでベトナムに行けないので、パクチーコリアンダー)育ててみました。

 

tuaki.hatenablog.com

 

 

こんな感じで元気よく育ちました。

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全部、刈り取りました。

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水洗いしてこんな感じ。

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畑で作っているtakeさん達のパクチーは本当に大きくて立派。

 

www.camonvietnam.work

 

で、これを、焼きそばに添えて食べてみました。

味は今一つ。

違うよな、やっぱりPhoじゃないとダメかな。

 

試行錯誤が続きます。

 

でも、つまみ食いしたとき、じわっと口に広がる癖のある味。
おお、ベトナム、と思いました。
それだけでもよかったかな。

 

パクチー②(終わり)

遠州・井伊谷

 静岡県に住んでいて、県内(遠州)を旅行するAkiです。

マイクロツーリズムを実践中です。

 

 

 ※黒の円内が遠州地方

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今回は、浜松の西北部、浜名湖の北の井伊谷です。 

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井伊谷は、江戸時代に彦根藩主家となった井伊氏の発祥地。それと、先年のNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の舞台となった場所でもあります。

 

やはり、その名前の通り、井伊家にゆかりのある場所が非常に多い。
というかそれしかない。

 

これは、井伊家の先祖、井伊共保(いい ともやす、寛弘7年1月1日(1010年1月18日) - 寛治7年8月15日(1093年9月8日)、平安時代の人)由来の井戸。

寛弘7年正月元旦、井伊谷八幡宮神主が御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見した。7歳の時、神童と称され、その噂を聞きつけた遠江国藤原共資の養子となり藤原共保と称し、共資の一女と婚した。長元5年(1032年)家督を継ぐと故郷の井伊谷に居館(井伊谷城)を構えて井伊氏を称した。

要するに井伊家の初代。

 

田んぼの中に井戸。不思議な光景です。

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そのすぐ近くに龍潭寺(りょうたんじ)。井伊家の菩提寺です。

ちょっと入ってみました。

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山門ですね、写真には写っていないのですが、意外と人が多い。

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仁王門。

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仁王門から本堂を見ています。

 

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お寺の周囲。うっそうとした森。

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お寺の土塀ですね。

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青いもみじ。生き生きとした勢い、を感じます。
それと、緑が深い。

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お寺の山門の内側。くねくねとした参道。

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一直線ではなく、道が複雑です。
これは、敵の侵入を予想した構造ですね。 

 

 

お寺の隣。
宗良親王(むねながしんのう)のお墓
南北朝時代後醍醐天皇の皇子。

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宮内庁の管理となっています。
入れないのでそっと覗きました。鳥居がちょっと見えただけ。


その隣、井伊谷宮神社ですね。

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最後は、やはりお城。

井伊谷城に行きました。 

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ちょっとした石垣。雰囲気でてますね。

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意外と、登りがきつい。
お休みどころが何か所かある理由がわかります。

 

写真だと、ゆるやかに見えるのですが、急斜面。

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もうちょっと。

 

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大手口まで来ました。もうちょっとで頂上。

 

 

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やっと頂上、井伊谷城跡です。

 

さすがに見晴らしはいいですね。
息を整えて、見渡します。

気分は爽快。

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右に浜名湖と橋が見えます。

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遠くに浜松の町。高層ビルも見えますね。

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汗びっしょりかいて、登頂。

景色がよかったから登ったかいはあったかな。

 

城を下ります。
夏の青空がとってもまぶしい。

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城跡に行くと必ずいい景色を見ることができます。
それは、元々、お城は見晴らしのいい場所に作られるからですね。外敵の様子をいつも監視していなければなりませんから。だから、景色もいい。

 

でも、井伊谷城、浜松の町まで見えるとは思っていませんでした。

 

ここにお城を作った井伊氏、
立派です。

 

遠州井伊谷(終わり)

ベトナム ~ドンホー版画~

ベトナム好きのAkiです。

 

 

 

 以前、ハノイ近郊のバッチャンに行ってとっても素敵な壁画を買いました。

tuaki.hatenablog.com

 

 

 

同じベトナムハノイなのですが、版画も買いました。

 

美術館に彼氏と一緒に行ったときに、売店で売られていて、目について、ああ、いいなと思って、買ったのです。

 

この版画です。

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ドンホー版画というそうです。 

ドンホー版画(Tranh Đông Hồ);ベトナム北部のバクニン省、ドンホー村で製作されている伝統的な絵が描かれた版画。 ベトナムの生活、風物詩、風刺などが描かれ、ベトナム語では現在、使われない漢字の言葉が添えられることがあり、昔、貧しかった庶民が正月だけは華やかにしたい、また将来は幸せになりたい、と願って作られたものだそうです。現代では、めでたいもの、新年を祝賀する縁起物として旧正月(テト)の時期に家庭で飾られるそうです。

 

自分が買った版画には、「栄帰拝祖」「進士」と漢字で書かれています。

「栄帰拝祖」は、科挙に合格すれば錦を飾って故郷に帰り先祖に一族の繁栄を報告できるという意味、「進士」は、その科挙の合格者のことです。

 

なので、勉学に励み、朝廷に仕えるべく試験(科挙)に臨み、念願かなって合格し、官吏(進士)となることができ、その結果を故郷の人々と祖先に報告に行く、そんな風景が描かれているのです。たぶん、現代では大学受験のお守りのようなものなのでしょうか。

 

苦労が実って、故郷に錦を飾る、

そんな幸せと楽しさがあふれている絵。
色彩と人々の表情がとってもいいかな、と自分は思いました。

 

 ベトナムの芸術探訪です。

 

 

ベトナム ~ドンホー版画~ (終わり)

 

※版画に書かれている文字(漢字)ですが、今の若いベトナム人(彼氏も含めて)は読めません。彼らの親の世代だと多少、漢字の読み書きはできるようなのですが。

遠州・気賀

静岡県に住んでいて、県内(遠州)を巡っているAkiです。

マイクロツーリズムを実践中なのです。
カメラ片手の撮影旅行です。

 

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 今回は、浜松の北西部、気賀です。

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天竜浜名湖鉄道が通っていて、それなりに町です。

 

 鉄道の高架?

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姫街道 松並木があります。

 

江戸時代、東海道から浜名湖を避けるルート(要するに船を使わなくてもいいルート)として姫街道が整備され、ここに関所が置かれました。

 

気賀の関。

 

気賀の町を歩いていると、関所跡の石碑。

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で、唐突に看板。関所の屋根が確認できる?

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路地に入ってみました。民家の敷地のようです。
右矢印が見えます。

 

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プロパンガスのボンベが気になります。

生活感ありあり。

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あと、古い井戸もあるし。

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見上げると、これ。
これが関所の屋根。

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これが関所跡でした。
でも、プロパンガスのボンベ使って人が住んでいる。
もうちょっとなんとかできないものかな。

 

気賀関所は別のところにもあるのですが、こちらは復元されたもの。観光用です。1990年(平成2年)に、細江町はふるさと創生事業として、江戸時代の文書や残存していた本番所の一部を参考にして「気賀関所」を復元。復元された「気賀関所」は江戸時代に気賀関所があった場所(気賀関所跡と呼ばれている)よりも西の、奥浜名湖田園空間博物館総合案内所近くに立地している。

 一応、それらしく作られてます。

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あと、細江神社。 
田舎の神社という、いい風情

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こちらは、渋い感じのお寺。
東林寺、というそうです。

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その近くに犬くぐりの道

むしろで覆って、土地の人が関所を通らずに簡単に行き来できるようにした道。
関所の抜け道ですね。

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浜名湖の北、気賀関所の町でした。

 

でも、その関所は、今は民家の屋根になっています。
寂しいような、面白いような。

 

関所以外はあまり見るところもない、

 

でも、なにもないのがいい、かな

こんな感じ。自分が好きな風景。

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遠州・気賀(終わり)