『東アジアの構図』についてのつづきです。
今回は、朝鮮。
『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジアの地政学』
2021/6/25 川島 博之 (著)
ポイントの抜粋です・・・・
朝鮮とベトナムは大国である中国と陸続きで接していた。そのために、中国から極めて大きな影響を受けていたという点においてよく似ている。
朝鮮が条約を破ることは今に始まったことではない。800年前にも似たようなことを行っている。13世紀、中国東北部、満州でモンゴルが台頭し、朝鮮半島し侵入し、当時の高麗を脅かした。元寇ですね。その際、モンゴルは高麗に朝貢を求めたが、高麗はそれを拒否。モンゴルは高麗を蹂躙し、その結果、高麗は講和を求め、モンゴルもこれに応じた。しかしながら、高麗はその和議を簡単に破った。
敵が強いと和議を結び、敵が去ると約束を破る。
高麗がモンゴルとの約束を破った心理を深堀りすると、「小中華思想」に行き着く。
要するに北方に住む蛮族を馬鹿にしていたわけである。
そして、中国において、モンゴルの勢威が衰え、漢民族が明を建国し、やっと朝鮮の高麗はモンゴルから独立することができた。それは自らの力によるものではない。ついでに言えば、先の日本による植民地支配からの独立も同じだった。日本が米国に負けたから独立できたのであり、自らの血を流して独立を勝ち取ったものではない。
ベトナムは15世紀に明の植民地になった時に、ベトナム人自身が立ち上がって独立を回復している。また20世紀には多くの血を流してフランスと米国の支配を撃退した。
また、17世紀に入って、明が滅び、蛮族(満州族)の清が起こると、当時の李氏朝鮮は、大義名分論でこれを考えた。
清は満州族が作った国である⇒満州族は蛮族である⇒蛮族が小中華である朝鮮に臣従を迫るなどもっての外⇒許されることではない、倫理的におかしい⇒拒絶
しかし、その対応のために、大国である清から屈辱的な扱いを受けたのでした。で、結局、清から冊封を受け、属国となった。
こうした歴史を振り返ると朝鮮という国の形は以下のようになる。
・朱子学に基づいた大義名分論を振りかざすために、国際情勢の分析が苦手である。
・小中華思想を持つために他の国を馬鹿にする。そして、それを声に出して言う。相手も口汚く罵る。
・文官優位の体制をとってきたために軍隊が弱い。だから相手が攻めてきた時にほとんど戦うことなく降伏する。
・いざとなると命が惜しいために、どんな屈辱的なことでも行う。後世に意地を伝えるために切腹するようなことはしない。名誉よりも命の方が大切である。そして、より強い勢力に従う(事大主義)
・相手は弱いと見ると、手のひらを翻すように態度を一変させる。そして過去を反省しない。
・・・
朝鮮については、非常に辛口の記述が並んでいるのですが、
それでも腑に落ちることが多いですね。
今でも、北朝鮮や韓国は、大国である中国やロシアにすり寄る姿勢を見せますね。
特に韓国では前政権の文在寅がそうでした(北朝鮮にすり寄っていた!)。
また、北朝鮮の、常軌を逸した、常に強気で挑発的な言動は、この小中華がなせるものなのかもしれません。
あと、慰安婦とか徴用工とか、解決しているはずの問題をよく持ち出しますが、これは、彼らの小中華思想を考えれば、理解できることです(理解できるというのは、了解するという意味ではなく、彼らの思考であれば当然なのだ、ということ、決して世界的なスタンダードではない)。
一回約束をしても、朱子学的(儒教的)に屁理屈を並べ、蒸し返して、その約束を反故にする。
儒教、朱子学を導入してしまったために、中国の漢民族に忠誠を誓うことになってしまった朝鮮。
その儒教の本家である漢民族の興亡のたびに、悲惨な目にあってきました。
現在の中国の台頭とアメリカとの関係の狭間で、どうするのか。
朝鮮の歴史を振り返ると何事も自分で決められず、漢民族である中国には、朝貢の姿勢を示しつつ、しかし情勢には流されて、より強い方についてゆく、ということでしょうか。
朝鮮は、日本にとって隣国で、ごく近しい関係のようにも思えるのですが、海を隔てたことで、まったく異なる国となったことを理解すべき。
中国から、儒教を導入して500年。
骨の髄までその思想、文化に支配され続けている。
そこが、決定的に日本と違う。
東アジアの構図②(終わり)