Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

東アジアの構図③

『東アジアの構図』についてのつづきです。

 

今回は、ベトナム

 


『中国、朝鮮、ベトナム、日本――極東アジア地政学』 
2021/6/25 川島 博之 (著)

 

・・・まず、抜粋です。

まず、紀元前1世紀ごろ、中国・漢の武帝南越国を滅ぼして紅河流域を自国の領土に組み入れたことは、現在につながる中国とベトナムの対立の原点になった(中国がベトナムを支配)。

紀元後1世紀には、ハイバーチュンの乱がおこった。これは漢の支配下に置かれたベトナムにおける初めての大反乱であり、ベトナム人ベトナム人としての自覚を促す効果があったとされる。

 

10世紀、実に1000年後に、呉権によって中国からの独立が果たされた。このベトナム建国の物語には、今までに続くベトナムと中国の関係が凝縮されている。

 

しかし、独立した政権を樹立しても、ベトナムで政権を維持することは容易ではない。政敵が中国の手を借りて政権を奪取しようとするからだ。

 

中国との戦争において、ベトナムは持久戦に持ち込んで粘り強く戦う。犠牲を厭わない。敵が疲れるるのを待つ。その戦略は近代のベトナム戦争でも踏襲された。そして手が撤退を始めると深追いはしない。その直後に使者を送って、最大限相手のメンツを立てながら講和を模索する。

 

13世紀、モンゴルによる侵攻(元寇)において、当時の陳朝の皇帝であった仁宗は、降伏を考えたが、武将の陳興道は廟議で、「降伏するならこの首を刎ねてからにして欲しい」と仁宗に戦うことを強く迫った。

 

今でもベトナム人の心に響く物語とされている。

 

ベトナムにおいても朱子学による科挙の制度は導入されたが、中央政府の力が弱く、豪族連合のような政体が続いたために、中国のように科挙に合格した官僚が力を持つことはなかった。中央でも地方でも豪族が実権を握っていた。

 

・・・

 

要するに中国や朝鮮のように科挙がそれほど浸透せず、したがって朱子学の影響も限定的だった、ということ。

ハノイには文廟という儒教の祖である孔子を祭った寺院?があるのですが、中身は中国や朝鮮とは大きく違う、ということですね)

中国はやはり怖い。だからご機嫌をとる必要がある。それとともに。中国から認められたことによって、政権の正統性を人々に示すことができる。

 

それが、ベトナムの国のカタチということになる。

 

1000年かけて中国から独立を戦い取ったベトナム


隣が大国であったために、長年をかけて、生き残り術を身に着け、近代においてはフランス、日本、アメリカなどの大国による侵略をはねつけることに成功した。

本の中でも述べられていましたが、他人まかせの朝鮮とまったく違う。

 

独立自尊の強い意志を持った国がベトナム

 

やはり、この国のカタチを参考にしたい。

 

東アジアの構図③(終わり)