日本人ゲイのAkiです。
久しぶりのベトナム旅行から帰ってきましした。 日頃、日本にいると仕事や、わずらわしい身の回りのことに振り回されるのですが、海外に行くとそんなしがらみもなくなり、違った視点でものを考えることができます。今回から、少し真面目に、Akiなりの視点で、『アジアと日本』を書いてみたいと思います。少し大げさなタイトルになってしまいましたが。
Akiが思うのは日本は中国、朝鮮とは違うなということです。アジアでは中国が巨大すぎて、周辺国はその文化的な影響をどうしても受けるのですが、島国である日本はその影響が少ない、だから今の日本がある、と考えています。しかし、アジアにはほかにも多くの島国があります。台湾、フィリピン、インドネシア、太平洋上にはサモア、パプラニューギニア、トンガなど。これらの国々が日本と似ているか、と言えばそうとは思えません。台湾だけは日本に近いこともあって交流しやすいく、身近な感覚を持ちますが。そして、これらの島国と比べると、つくづく日本は不思議な国という印象を持ちます。自分が日本で生まれた日本人なので、当たり前のように日々過ごしていますが、極東の端のアジアの島国でここまでやれているのが不思議に思えるのです。
さて、一万円札に描かれている福沢諭吉は、かつて『脱亜論』を書いたとされてます。実際には新聞『時事新報』の社説として書かれたもので、原文は無署名なので福沢が実際書いたのかは不明だそうです。
(一万円札の福沢諭吉)※ネットからの引用
以下は脱亜論の現代語訳(全文)です。 少し長いです。
現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なのだ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受け入れる他はない。これは近代文明社会で生き残るための必須条件である。近代文明とはインフルエンザのようなものである。インフルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのようにして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。西洋の科学技術革命について日本人が知ったのはペリーの黒船以来であって、これによって、国民も、次第に、近代文明を受け入れるべきだという認識を持つようになった。ところが、その進歩の前に横たわっていたのが徳川幕府である。徳川幕府がある限り、近代文明を受け入れることは出来なかった。近代文明か、それとも幕府を中心とした旧体制の維持か。この二者択一が迫られた。もしここで旧体制を選んでいたら、日本の独立は危うかっただろう。なぜなら、科学技術を利用しつつ互いに激しく競いながら世界に飛び出した西洋人たちは、東洋の島国が旧体制のなかにひとり眠っていることを許すほどの余裕を持ち合わせてはいなかったからである。ここに、日本の有志たちは、徳川幕府よりも国家の独立を重んじることを大義として、皇室の権威に依拠することで旧体制を倒し、新政府をうちたてた。かくして日本は、国家・国民規模で、西洋に生じた科学技術と近代文明を受け入れることを決めたのだった。これは全てのアジア諸国に先駆けており、つまり近代文明の受容とは、日本にとって脱アジアという意味でもあったのである。日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど速く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。私の見るところ、このままではシナ・朝鮮が独立を維持することは不可能である。もしこの二国に改革の志士が現れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代化を推し進めることが出来れば話は別だが、そうでなければ亡国と国土の分割・分断が待っていることに一点の疑いもない。なぜならインフルエンザのような近代文明の波に洗われながら、それを避けようと一室に閉じこもって空気の流れを絶っていれば、結局は窒息してしまう他はないからである。『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うことを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)
(引用元) https://samurai20.jp/2015/05/datsuaron1/
この文章が発表されたのが明治18年、日清戦争のほぼ10年前のことです。日本は明治維新で西欧に倣った近代化を夢と希望をもって推し進めていたころです。その夢の前に立ちはだかったのが、中国、朝鮮でした。ともに近代化をやろう、とおそらく明治の人たちは考えたのでしょう。しかし、当時の中国、朝鮮はどうしようもない封建制や古来の儒教思想に凝り固まっていて、福沢達は失望したのだと思います。そのどうしようもなさを今の日本人も中国、北朝鮮、韓国に感じています。最近よく見られるのは、さすがは福沢諭吉だ、先見の明がある、といった論調です。また、同時に100年前と中国、朝鮮は変わっていない、というあきらめ感もあります。しかし、おそらく中国、朝鮮から日本を見た場合、なんと節操のない国か、と思ったことでしょう。明治維新で突然、180度転換して西欧化してしまう、国としての思想がないのではないか、と。
日本は結局、無思想なんですね。(参考)『無思想の発見』 養老孟司著
独自の文化はあるのですが、儒教のような宗教、政治や生活にまで影響を及ぼすものはない。だから、到底、分かり合えることもなく、結局、最後は ”「東アジア」の悪友とは絶交する” ということになるのでしょう。
東アジアは、そんな関係なので、当面はあたらず、触らずということで、期待もしなければ、強いて積極的な交流もしない、というのが妥当なのだとAkiは思います。
一方、アジアには、東南アジア諸国や、大国インドもありますし、パキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンなどの旧ソ連の国々やモンゴルもあります。しかし、地図を見ていると、やはり中国の存在感は際立ってます。中国は14の国と国境を接しており、6つの国と海を隔てて対峙しており、様々なところでいざこざをおこしています。また日本との間では、尖閣列島だけでなく、沖縄の領有権も主張しているようです。歴史をさかのぼれば、いかようにも解釈は可能なので、そんな滑稽な論理も可能なのでしょう。
したがって、中国が栄える時、周辺国ははなはだ迷惑です。朝鮮に対しては、あたらず、触らずでいいのでしょうけど、中国はやっかいです。向こうから勝手にやって来ますから。法は関係ありません、元々、法を守る意識がない儒教の総本山の国なのです。ここはやはり日本の文化や伝統を守るため、まずは彼らの心の奥深くにある儒教の思想をよく理解することが先決のように、Akiは思います。戦う前には、敵を知る必要があるのです。それと同時にほかの周辺国と歩調を合わせることも大事でしょう。戦いは別にミサイルを撃ち込むような戦争だけではありません。それは第二次世界大戦で日本は懲りています。ビジネスシーンでも同じでしょう。儒教を知ること、それがアジアと日本の関係を解くカギになるのではないか、とAkiは思っています。
少し、退屈で長くなるかもしれませんがアジアの国、韓国、台湾、そして中国のことを順を追って考えてゆきたいと思います。
アジアと日本(終わり)