Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

ハノイ探訪⑭

2023年11月のハノイ探訪。

 

ここは、ハノイのホテルのバルコニーです。
街歩きに疲れたので、部屋でベトナムの歴史を読んでいます。

 



この本です。

日本にいたときに買ったのですが、まったく読めず、ページをめくるとすぐ眠くなったものです。

 

でも、ベトナムハノイで読むと、面白い。
どんどん読み進めました。

 

ハノイ滞在の初日に、ベトナム国立歴史博物館(Bảo tàng Lịch sử Quốc gia)を訪れました。
たしか、8年前にも来たので、久々の再訪となります。

 

 




 

ハノイから見たベトナムの歴史は、

「北属」と「南進」

北(中国)に属し、南(チャム・カンボジア)を侵す。

ただ、その北属は、ただ中国に従属するということではなく、
独立を維持しつつ、中華秩序には従う、という姿勢は示す、ということです。

 

その独立のために血みどろの戦いを中国相手に繰り広げています。

たとえば、博物館のジオラマで展示されている『バクダンの戦い』(Trận Bạch Đằng)。

938年にベトナムで行われた呉朝ベトナム軍と中国・南漢軍との戦いで、南漢の水軍は、海からバクダン川を遡り紅河デルタの中心(ハノイ方面)へ進撃しようとしたが、ベトナム軍はハロン湾付近のバクダン川河口でこれを迎え撃った。数の上では南漢が優位であったが、ベトナム軍は南漢を打ち破り、1000年近いベトナムに対する中国の支配体制は終焉し、ベトナムは独立を達成したのでした。

 

1288年にも、同じく『バクダンの戦い』(Trận Bạch Đằng)が繰り広げられています。陳朝ベトナム軍と中国・元軍との戦いです(ベトナムに対する元寇)。

ベトナムに侵攻した元軍に対して、ベトナム軍はバクダン川の潮位の上下を日々調べさせ、川底に杭を打ち伏兵を配した。元軍はその糧秣を積んだ船をバクダン川を遡上させて運送したが、その船が杭を打ち込んだ地点に差し掛かると、ベトナム軍の軽舟が出撃し、すぐに負けを装って後退した。追撃した元軍が伏兵された地点にたどり着くと、両岸から何千もの陳軍の小舟がなだれ込んできた。それは、ちょうど潮が引きはじめた時刻だった。元軍の船団は慌てて退却したが、干潮で水位が下がり顕わになった川底の杭に退路を阻まれ、多くの船が壊れて沈没するに至った。さらにベトナム軍は火をつけた筏を潮に乗せて流し、船団を炎上させた。生き残った元軍の兵士は川岸へと逃げたが、伏兵していた歩兵による奇襲攻撃を受け、元軍の水兵は全滅した。

 

中国とは何度も戦火を交えているのすが(最近では1979年にも中越戦争をやってます)、その都度、関係を修復し、華夷秩序(中華)の確認を行うことで、中国の面子をたてています。

 

それが、『この国のかたち』

 

ベトナムを知り始めた頃、やはりハノイの一柱寺あたりで、客待ちをしているバイクタクシー(セオム、Xe ôm)の運転手に話しかけられて、

「俺たちは、中国の元軍をやっつけて退散させたんだぜ。日本は、神風が吹いたおかげで、勝てたんだろ」、てなことを言われましたね。

この『バクダンの戦い』は国の姿勢を決める決定的な出来事だったようです。

中国のあと、フランス、日本、アメリカの支配を受けたのですが、いずれの戦いにも勝って、独立を維持することに成功しています。

 

それがベトナム

 

独立は毅然として勝ち取るもの。
それがこの国の常識なんですね。


しかし、この歴史はハノイから見た歴史(北属南進)であり、南進された南部メコンデルタ(旧サイゴン、HCMC)からは、また違った見方の歴史があるかもしれませんが。

 

 

ハノイ探訪⑭(終わり)