四国の松山にある「坂の上の雲ミュージアム」に行ってきました。
「坂の上の雲」というのは、明治時代の日露戦争を題材に司馬遼太郎が書いた歴史小説ですね。
この小説では、松山出身の3人が主人公です。
日本陸軍における騎兵部隊の創設者である秋山好古(あきやまよしふる)、その実弟で海軍における海戦戦術の創案者である秋山真之(あきやまさねゆき)、真之の親友で明治の文学史に大きな足跡を残した俳人、正岡子規(まさおかしき)の3人。
・・・ということで、四国の松山に博物館があるのです。
それで、この明治という時代、そして、その時代を生きた青年群像が丹念に展示されていました。
たまたまですけど、企画展示があって、
そのテーマは、「明治日本のリアリズム」。
この展示を通して、3人の主人公のそれぞれにリアリズムがあった、ということがよくわかりました。
陸海軍の軍人となった秋山兄弟は、明治の日本が生き残るために、リアリズムの限りを尽くして、大国ロシアとの血みどろの戦いを勝ち抜きました。
また、正岡子規は、近世以来の俳諧を排して、写生を作句の根本に置き、自己の実感から生ずる新しい詩美を見いだそうとして、俳句革新運動を推進しました。
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」・・・ですね。
見たまま、感じたままをそのまま簡潔に表現する「客観写生」。
彼も、リアリズムの限りを尽くして、新しい文学を日本に根付かせたのです。
(正岡子規)
明治という時代は、封建的で閉鎖的(鎖国)な江戸時代が終わって、いきなり、世界が目の前にやってきて、その現実にすぐ対応しなければならない危機感でいっぱいになっていたのでしょうね。
だから、明治のリアリズムは、徹底的な現実主義。
「坂の上の雲」という歴史小説の主題は、そのリアリズムを冷酷に描くことだったことに、今さらながらに気が付きました。
あと、
日露戦争(1904年2月6日 - 1905年9月5日)では、最後に日本海海戦が行われて、日本が勝利するのですが、その相手はロシア艦隊です。ヨーロッパのバルチック艦隊が東洋に回航されてくるのですが、その寄港地の一つがベトナムのカムラン湾なんですね。
カムランは、今、ベトナムの観光地であるニャチャンのすぐ近く。ベトナム人彼氏がよく遊びに行っていた場所ですね。
そして、日露の海戦・・・
これは当時のロシアの戦艦のモデル。
ヨーロッパから来た大艦隊を相手に日本は奮戦し、これを撃滅しました。
東洋のちっぽけな国が、大国ロシアに挑んで、勝った。
これは「明治のリアリズム」の勝利だった、ということなのかもしれません。
それは、もう100年以上も前の歴史上のできごとなのですが、どうしても、今のウクライナと重なってしまいます。大国ロシアを相手に善戦しているウクライナが当時の日本と重なるのです。
日露戦争では、ロシアが敗北し、帝政が終焉し、ソビエト連邦成立へと向かいました。
一方、日本は、軍事的な優位性を武器に、中国へ進出し、さまざまな紆余曲折を経て、破滅的な太平洋戦争へと向かうのでした。
今回のウクライナ戦争で、おそらくウクライナはあらん限りの「リアリズム」を駆使して、ロシアと血みどろの戦いをしているのだと思います。
その戦いがどうなるのかわかりませんが、その戦後は、おそらく、ロシアは大きなダメージを受け、また、ウクライナは各国から提供された膨大な武器を保有する軍事大国になっているものと思われます。ウクライナがこの「リアリズム」を維持して、日露戦争後の日本の轍を踏まないように祈るばかりです。
リアリズム(1)(終わり)
PS. あと、もう一つ。大国中国に対峙する、今の日本の「リアリズム」は何か、それについても考えてみようかと思います。