理系技術者のAkiです。
社会、世界の現実と理想についてです。
リアルとセンチメンタリズム。
難しいはなしになりそうなのですが、誤解を恐れずに、思っていることをシンプルに書いてみます。
センチメンタリズムとは、感傷主義。
感性を大切にする態度、物事に感じやすく、感情が動きやすい傾向・・・のこと
人間ってつくづく感情の動物です。
それで、無駄なこと、不利になりそうなことでも一時の感情に流されてやってしまいがち。あるいは、そんなことあり得ない、って勝手に考えて、結果として過ちを犯す。
過去、そんなことをなんどもやってきている?・・・・ように思います。
で、日本の8月。
原爆が広島と長崎に投下されて、たくさんの人が亡くなって、終戦。
8月6 日「広島原爆の日」
8月9日「長崎原爆の日」
8月15日「戦没者を追悼し平和を祈念する日」
この3日間、サイレンが鳴って、手をあわせて祈る、そういう日だと自分は思っています。
で、同時にいつも出てくる話、
基地反対運動(オスプレイとか、辺野古移設とか)、反戦運動、核兵器廃絶運動(国連でもやってますね)などなど・・・
日本がたどってきた道、歴史を振り返れば、こうした運動は、感情としては十分理解できるのですが、ほとんどセンチメンタリズムではないかと最近思います。
核がなくなって、戦争もなくなって、争いごとのない平和な世界。
理想としては、そうだろうと思いますが、
でも、それを実現する戦略、戦術がない。
ということは、実現の可能性がないのにやっている。
運動すること、そのものが目的となっている、ようにも思います。
そんな気がします。
核兵器廃絶を訴えるのであれば、核兵器を持たない日本政府向けにやっても意味はなく、今、実際に核を持っているアメリカ、ロシア、中国そして北朝鮮に対して訴えるべきでしょう。
平和主義をさかんに唱えても、周りの国から聞く耳をもたれない。
だから、ただ、やり続けるだけ。
それは、ただの『センチメンタリズム』
リアルとセンチメンタリズム
その間に明確に一線を引くこと、それが、とても大事なことだと自分は思うのですが。
散歩しながらいろいろ考えているんです。
センチメンタリズム(終わり)
太平洋戦争で亡くなった方々、自分の親戚、ご先祖様も含めて、合掌