静岡県に住んでいて、県内(遠州)を巡っているAkiです。
マイクロツーリズムを実践中なのです。
カメラ片手の撮影旅行です。
※黒の円内がだいたい遠州地方
浜松の西、浜名湖の東側、雄踏。これで、ゆうとう、と読みます。
浜松から雄踏街道をクルマで移動です。
雄踏では中村家住宅を訪れました。
中村家住宅 なかむらけじゅうたく
昭和48年6月2日 国指定重要文化財
約3,000平方メートルの敷地内にある寄棟造葦葺平屋建の建物で、桁行(間口)21.3m、梁間(奥行)11.2m、平面積238.7平方メートルです。建物は、棟通りと梁間方向中央の柱通りを揃え、これを境として、桁行方向に部屋が食い違いの配置になっているという特徴があります。主屋の構造は、側柱(外回りの柱)は省略がなく、部屋境は2箇所を除いて柱を1間ごとに、楚石の上に直接立て、おもに貫(ぬき)で相互の連結がはかられています。
中村家の初代中村正範は源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んでいました。文明13年(1481)には、14代正實が今川氏に招かれ、遠江国磐田郡大橋郷に領地を賜り、その後、敷知郡和田、平松、宇布見、山崎、大白須の五か荘が与えられ、文明15年(1483)に宇布見に屋敷を構えました。16世紀の今川氏の時代には、同氏の家臣で代官を勤め、浜名湖の軍船を支配しています。永禄11年(1568)に徳川家康が遠江に入国した時、18代正吉は船を出して迎えるなどの御用を果たし、徳川氏に仕え今切軍船兵糧奉行や代官を勤めました。こうした関係から天正2年(1574)2月8日に徳川家康の側室お万の方が家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を当屋敷で出産し、その時の胞衣(後産)を埋めた胞衣塚が現存しています。
・・・・という古い民家です。
徳川家康の次男がここで生まれたというのがちょっと驚きです。
立派な門です。
入り口で200円を払って中に入ります。
茅葺屋根の母屋。
中に入ると土間があって、すぐ板敷きの間。
その奥は畳の部屋があります。
母屋のすぐわきに胞衣塚(えなつか)。
徳川家康の次男である結城秀康がこの中村家で生まれその胞衣(えな)を納めた塚です。塚上の梅の木は徳川家康のお手植えと伝えられ、数代を経ているそうです。
※「胞衣(えな)」の意味;胎児が生み出されたのち排出された胎盤・卵膜などのこと
葵のご紋がしっかり入ってますね。
で、この由緒ある中村家を後にして、もう少し西に行くと、浜名湖です。
対岸の新居、鷲津のまちがよく見えますね。
今は干潮。
鳥がエサをついばんでいます。
引き潮なので、ところどころ浅瀬が見えています。
釣りする子。あと、潮干狩りもやってました。
そんな遠州・雄踏。
遠州・雄踏(終わり)