Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

ハンガリーの地下鉄

日本人ゲイのAkiです。

以前、東欧のハンガリーを旅行したことがあります。首都のブタペストに行きました。そこで驚いたのは、地下鉄のエスカレーターです。ごーと音をたてて尋常でないスピードで上がったり下がったりしています。おもわず、乗ることに躊躇しました。と書くと大げさに思われるかもしれませんが、これは本当です。こんな早いスピードのエスカレーターは見たことも聞いたこともありません。

 

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 (ブタペストの地下鉄) ※ネットからの引用

 

『なぜハンガリーの地下鉄のエスカレーターは早いのか』

Akiは素朴な疑問をずっと持っていました。どうでもいい話なのですが、この際ですので調べてみました。ブタペストには4本の地下鉄路線があり、現在5号線の計画もあるそうです。 1896年に開業した1号線は世界でロンドン、イスタンブールに次いで3番目、ユーラシア大陸では2番目に営業を開始した地下鉄であり、電気運転の地下鉄としては世界初の地下鉄だそうです(世界遺産に登録)。1896年というと日本で言えば明治29年ハンガリーがまだ王国だった時代です。2号線は1970年4月4日(共産党の休日)に開業。1976年には3号線が開業、2014年3月14日には4号線が開業しました。時代をたどってみると、1号線は王国の時代、2号線と3号線は一党独裁共産主義国家の時代(旧ソ連の衛星国)、4号線は、改革開放後しばらく経ってからということになります。Akiが乗った地下鉄すべてが高速ではなく、おそらく2号線か3号線だけが高速だったと思います。ということは共産主義の時代(冷戦時)の産物なのです。
同じような地下鉄は旧ソ連のモスクワにもあるそうです。冷戦時、核攻撃を受けた際、すみやかに地下鉄に逃げ込むことで難をのがれることができると考えられ、地下深くに地下鉄が作られ、そのためエスカレーターも長いものとなったそうです。また、警報が鳴ってから10分以内に入らないと、扉がしまってしまうそうで、逃げ遅れないようにしなければならなかった。その為、人々を地下へ運ぶエスカレーターは超高速である必要があった、らしい。だから、当時、旧ソ連の衛星国であったハンガリーも同じような対応をとっていたのでしょう。

なんとなく納得できました。

そういえば、ハンガリーは東西冷戦の終結に大きな役割を果たした国でした。1989年8月19日、ハンガリー・ショプロンで開かれた政治集会で西ドイツへの亡命を求める1000人ほどの東ドイツ市民が参加し、オーストリア国境を越えて亡命を果たしました。後にベルリンの壁崩壊へと繋がる歴史的事件で、ピクニック事件、ヨーロッパ・ピクニック計画とも呼ばれています。この事件を発端に、ソ連は崩壊し、ヨーロッパから一党独裁共産主義国家はなくなりました。そして、今、世界には5か国が残っているだけです(キューバ、中国、北朝鮮ベトナムラオス)。そのうち、4か国はアジアにあります。ベトナムもその一つです。ベトナム共産党は1986年にドイモイ(刷新)路線を選択し、改革開放路線への大転換を図りました。そして、その路線は、一応成功しています。そのおかげでAkiも自由にベトナムを旅行することができ、彼氏も作ることができました。しかし、アジアで依然として共産主義が根強く残っているのが不思議です。ハンガリーの地下鉄、高速エスカレーターの謎はなんとなくわかりましたが、アジアの共産主義についてはまだよくわかりません。

ベトナム人の彼氏は、これはやはり微妙な問題らしくあまり話しません。政治的なことは、まだタブーなようです。ただ、Akiはベトナムの政治にも興味があるのです。なので、回を改めて、考えてみたいと思っています。
大事な彼氏の国のことなので。

 

ハンガリーの地下鉄(終わり)