Akiです。
歴史好きの『古寺徘徊』です。
静岡県西部、浜名湖畔のお寺、藤谷山・宿蘆寺(とうこくざん・しゅくろじ)です。
奇妙な名前につられて来てみました。
寺の西側には浜名湖があり、以前は深く入り込んで、芦(蘆)が多く宿っていたため、宿蘆寺という寺号がつけられたそうです。また、藤谷山(とうこくざん)という山号も寺の背後の山に藤が自生しており、満開の頃には浜名湖を行き交う舟からも藤が見えたというところからつけられたそうです。
蘆が宿っている寺。
味がある名前ですね。
その宿蘆寺。
室町初期の1466(文正元)年に命天慶受(めいてんけいじゅ)和尚によって開かれ、開基はこの地の城主、堀江下野守久実(ひさざね)とされています。
それで、1522(大永2)年以降は大沢右京大夫基宿の代より大沢氏の菩薩寺となって栄えました。境内には十代基宿(ともいえ)から19代基暢(とものぶ)までの10人の城主と、城主基之の長男基栄の11基の墓碑があります。大沢家は浜名湖の近くで3500石を領し、歴代当主は江戸幕府の高家と言う役職を務めた家柄です。その墓は江戸の菩提寺とともに、領地内にある宿蘆寺の境内にも造営されました。宿蘆寺の墓所には、大沢家の当主とその嫡子11基の石塔があります。高禄旗本の墓所にふさわしい風格と江戸時代の墓域を伝えている点が学術的にも高く評価されています、ということだそうです。
門前にある宿蘆寺の名前が入った石柱。
山門です。
山門右の石碑。『山門禁葷酒』と書かれています。
これは、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味だそうです。
禅宗寺院ですね。
山門から、今きた道を振り返る。
山門をくぐって、石段を少し、登ります。
もう一度振り返るとこんな感じ。
苔むした道。
こういうの、好きですね。
もう少し石段を登ります。
本堂が見えてきました。
宿蘆寺の算額。
本堂の左側からさらに山を登ると、この地を治めた大沢氏の墓所がありました。
蘆、葦がいっぱいの浜名湖。
それが宿っている寺。
古寺徘徊③(終わり)