海外旅行好きのAkiです。
かなり前のことですが、『中国・西安』を旅行したことがあります。
西安は中国中央部の陝西省(ちんせいしょう)の省都であり、古くは中国古代の王朝の都であった長安のことです。
中国の南京に入り、そこから鉄道で2日ほど西へ旅をしました。
西安(長安)が都であった時代は実に古く、西周から秦、漢から隋、唐の時代まで中国の都でした。紀元前1000年から紀元後1000年、ゆうに2000年の間、ずっと都だったのです。日本で紀元前1000年というと縄文時代後期で竪穴式住居に私たちの祖先が住んでいた頃です。
西安では、有名な兵馬俑を見ました。 秦の始皇帝(紀元前200年くらいの人)のお墓に眠る約8000体の俑。兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはなく、始皇帝配下の軍団を配置したものだそうです。実際、これを見ると、ただただ圧倒されます。紀元前1000年のころにこれだけのことをやっていた古代中国のすごみにうすら寒い感覚を覚えました。
(兵馬俑)※ネットからの引用
時代はどーと下って7世紀。
唐の時代の建物を見ました。
一つは大慈恩寺。648年の建立です。後年、西遊記で有名になった三蔵法師玄奘ゆかりの寺でもあります。僧玄奘はここからインドに向けて出発し、冒険の末、インドにたどりつき経典を持ち帰ったのでした。
(大雁塔)僧玄奘がインド・西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔
※ネットからの引用
西安大清真寺にも行きました。このお寺も742年、唐の玄宗時代に創建されました。しかし、実はこれは回教(イスラム教)のモスクなのです。回族を中心とした中国のムスリムの間で信仰の場としての役割を今でも果たしているそうです。西安ではムスリムを多く見ました。白い四角い帽子に白いガウン、ひげをはやした男の顔は紛れもなく中央アジアのコーカシアンでした。
(西安大清真寺)※ネットからの引用
その時、感じた気持ち。
それは、ここから西へ広がるイスラム世界への憧れ。
また、同時に、中国という混沌とした大海から、逃れ出たい焦燥感。
西から流れてくる乾いた砂漠のほこり、砂にまみれ、中国にいながら、もっと西へ行きたい衝動に駆られたものでした。
西安駅で、兵馬俑行きのバスへ乗客を呼び込む声、
『ぴんまよー、ぴんまよー』(兵馬俑、中国語ではぴんまーよー)
この声が、まだAkiの耳に残っていて、西安の異常に乾いた空気とそのときの気持ちがよみがえってきます。
西安は西へと向かう『シルクロードの始まり』の町です。
でも、そのシルクロードは『中国からの脱出の道』なのかもしれないとそのとき思ったものでした。
西安からの帰路は飛行機で、西ではなく東へ。
いっきに香港に戻りました。
中国から脱出できてほっとしました。