Tu&Aki’s Couple Life

  ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『歴史』『科学技術』『仕事』そして『大事な彼氏』のこと

信州・小諸

Akiです。

 

信州を旅するAkiは、長野から、北陸新幹線で上田まで、そのあと信濃鉄道を乗り継いで、小諸まで来ました。一人旅の終着点です。

 

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こもろです。

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千曲川(ちくまがわ)が流れていて、小諸は、その川のほとりというよりも、少し高台にあって、山側に開けた町です。

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これが小諸駅。待合室にストーブがあって、暖かかった。

 

小諸へ来た目的は、もちろん小諸城を見るためです。
Akiは、今、歴史旅をしているのです。

 

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小諸城の大手門、駅から少し上ったところにあります。
このお城、不思議なところがあります。大手門から入って、お城の中心へ行くにしたがって下ってゆくのです(要するに町側から川の方に向かっているということ)。

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(大手門)国の重要文化財

大手門を見て、少し下り、しなの鉄道の線路をくぐると、いきなり三之門。

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三之門、国の重要文化財

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懐古園の扁額、字は徳川家達(とくがわ いえさと、最後の将軍、徳川慶喜の後継者、徳川宗家16代目、1863年8月24日(文久3年7月11日) - 1940年(昭和15年)6月5日)

 

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三之門 内側から見る

 

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本丸には懐古神社

脇には懐古園の碑

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ここに置かれている「懐古園の碑」 は、明治14年(1881年)に懐古園が造られたときの記念碑で、題額は旧幕臣勝安芳(海舟)の筆、撰文と書は中村正直(敬宇)です。

 

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小諸城の石垣。高くて厳しい表情をしています。

 

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島崎藤村の碑、千曲川旅情「小諸なる古城のほとり」

 

城の先端は崖です。

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 その崖の上からは千曲川が一望の下に見渡せます。

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 天然の要害です。

 

 

江戸期、小諸は元禄15年(1702年)に越後国与板藩(新潟県)より牧野康重が1万5000石で入り、廃藩置県まで藩主を務めました。将軍家と縁故があったため、実質は4万石弱あったそうです。藩主の牧野家は、越後の長岡藩・牧野家の分家です。長岡藩は、三河以来の譜代大名で、幕府に忠節を誓う藩でした。藩風は「常在戦場」「鼻は欠とも義理を欠くな」「武士の義理、士の一分を立てよ」というものだったそうです。事実、長岡藩は幕末の戊辰戦争で、旧幕府側として新政府軍に徹底抗戦し、激烈な北陸戦争を戦いました。なので小諸藩もその士風の影響を受けていたことでしょう。


懐古園
は、忠誠を誓っていた幕府が瓦解し、明治維新後、藩が消滅し、城が荒れ果ててゆくのを惜しんで旧家臣がなずけた名前だそうです。そしてその扁額は、徳川家16代の徳川家達が揮毫しました。本丸には旧幕臣勝海舟懐古園之碑がありました。勝は、幕府を滅亡させた首謀者の一人なのですが、明治維新後、旧主の徳川家の面倒はよくみたそうです。また、幕府に忠誠を誓っていた譜代大名に対してもよく関りを持ち続けたようです。懐古園の扁額、『古きを懐かしむ』、という意味ですが、徳川の江戸時代を明治になっても懐かしむ、そんな武士たちのため息が聞こえてきそうです。旧幕臣の勝はそんな武士たちの気持ちをわかっていたことでしょう。それで、家達に扁額を書かせ、懐古園之碑を建てたのではないかと思います。


『小諸』、とても小さな町ですが、島崎藤村が歌を詠んだり、また高浜虚子が俳句を吟じたりして、大変、文学的で情緒のある場所でした。そして、その情緒は、徳川の江戸の時代が終わってしまって、嘆息する武士たちが思う懐かしさ、もの悲しさから漂うもののように思いました。

  

信州・小諸(終わり)