Go To Travelで国内旅行をしているAkiです。
岡山の備前・閑谷学校(びぜん・しずたにがっこう)に行きました。
江戸時代初期に建てられた、とても古い学校。
その講堂が国宝に指定されています。
まず、岡山から山陽本線で、姫路方面へ行きます。
岡山駅。
山陽本線。
岡山から乗って、最初はちょっと混んでいたのですが、しばらくするとほとんど乗客はいなくなりました。
途中、吉永という駅。
ここで降ります。
降りたのはいいのですが、人がいない。
駅前も寂しい限り。
今日は月曜日だし。
観光客が来ることもない。こんなもんかな。
でも、誰もいない。どうしようかな。
しばらくして、タクシーが一台来ました。
ほっとして、 閑谷学校(しずたにがっこう)に行ってもらうことにしました。
10分くらいです。
閑谷学校(しずたにがっこう)は江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校。所在地は岡山県備前市閑谷。「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されている。
江戸時代初期の学校なので、教えられたのは儒学(朱子学)です。
これは校門。
孔子の教えを学ぶ学校ということで中国風ですね。
校門の奥に見えるのが孔子廟。
面白いのは、学校を取り囲む塀が石でできていることです。
校門を内側から見る。
石塀。ぐるりと取り囲んでいます。
神社もあります。
これは日本的ですね。
学校の創設者である岡山藩主の池田光政公を祀るために1686年(貞享3年)に建てられたものです。
これは聖廟、校門から見えた孔子廟です。
ちょっと見にくいのですが孔子像が安置されてます。
次は国宝の講堂です。300年前の建物ですが、とてもしっかりしています。
講堂を出て、あの石塀沿いに歩いてみます。
途中、火除山。
石塀に深い苔。
資料館。
明治38年(1905)、学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建設。現在はその本館部分を資料館として公開し、旧閑谷学校の貴重な資料を展示。
ここはもともと学房という先生や学生たちの生活区だったところで、この場所と学問を学ぶ講堂を切り離し、火災の延焼を防ぐために火除山が作られたようです。
実際にこの学校の建設に携わったのは津田永忠という岡山藩士。
1682年(天和2年)、学校の創設者である藩主の池田光政が亡くなるとき、光政は遺言で学校を永続保つように津田に伝えたそうです。津田は、聖堂と講堂の改築、神社の建立、石塀と門の設置などの再整備を行い、この作業を1702年まで続けたそうです。
まさにそのおかげだと思うのですが、今日、国宝となって残っています。それは津田の藩士教育への執念だったのかもしれません、
あと、この閑谷学校は明治初期に衰退するのですが、高名な儒学者である山田方谷によて再興されています。江戸時代の古い儒学なのですが、明治期であってもその教育は続けられました。これが実は近代日本の礎だと自分は思っています。