Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

12月

Akiです。

 

12月、師走ですね。

実は12月は太平洋戦争が始まった月です。

 

 

1941年(昭和16年)のことです。

 

日本は米英に宣戦し、戦争を始めました。

 太平洋戦争へ (1940-1941) - YouTube

 

マレー作戦

最初に、日本陸軍12月8日未明にイギリス領マレー半島東北端のコタ・バルに接近、午前2時15分(日本時間)に上陸し、海岸線で英印軍と交戦し、イギリス政府に対する宣戦布告前の奇襲によって太平洋戦争の戦端が開かれた。

 

真珠湾攻撃

続いて、日本海軍航空隊によるアメリカ領ハワイのオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する奇襲攻撃(真珠湾攻撃)も12月8日午前1時30分に発進して、午前3時19分(ハワイ時間午前7時49分)から攻撃が開始された。

 

宣戦布告

12月8日午前4時20分(ワシントン時間12月7日午後2時20分)に、来栖三郎特命全権大使と野村吉三郎大使がコーデル・ハル国務長官に交渉打ち切りを通告する最後通牒「対米覚書」を手交した。午前3時(ワシントン時間12月7日午後1時)に手交することが決まっていたが、対米覚書の外交暗号文が重大案件であったことから大使自ら英文に翻訳しタイプしたため手間取り、手交が真珠湾攻撃の後になってしまった。日本時間12月8日午前7時半、日本はイギリスに対してロバート・クレーギー駐日大使を外務省に呼び、ワシントンでハル国務長官に手渡したのと同文の対米「覚書」の写しを手渡した。これも手交がマレー半島攻撃開始後となったため、米英に対し不意打ちを行う形となってしまった。同日に、オランダは日本に宣戦布告した。

 

12月8日アメリカとイギリス2国に対して「開戦の詔勅」が発され、宣戦布告がなされた。

 

詔書

神々のご加護を保有し、万世一系皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者は務めに励んで職務に身を捧げ、私の国民はおのおのその本分を尽くし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、この戦争の目的を達成するために手違いのないようにせよ。そもそも東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与する事は大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。そして各国との交流を篤(あつ)くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や不幸にして、米英両国と争いを開始するに至った。誠にやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態に至らしめ、もう四年以上経過している。幸いに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する政権(蒋介石)は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だに相互のせめぎ合う姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。(それだけでなく)与(くみ)する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態が続けば、東アジアの安定に関して我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いて東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

 御名御璽(ぎょめいぎょじ=天皇陛下のお名前とその印章のこと)

  昭和十六年十二月八日

国務大臣副書

 

この開戦の詔書では日本が東アジアの平和を求めて、朝鮮を併合し、中国に進駐したのですが、米英が中国の政権を助け、これを阻害したため、やむなく宣戦ということになった、と言っています。あえて誤解を恐れずに言えば、この詔書、正直に書かれていると自分は思います。

 

窮鼠、猫を咬む。

 

米英のアングロサクソンに立ち向かった当時の日本、
もっと評価されてもいいように思います。

 

それと、今、アメリカに対抗しようとしている中国。
アングロサクソンとアジアの対決ということで言えば、これが2回目ということになるかもしれません。

 

12月(終わり)