アジア好きのAkiです。
エキゾティックなアジアを代表する都市、香港。
先日、国家安全維持法が適用となり、中国の一地方都市になりました。
もう、過去の話になってしまった、昔の香港についてです。
100万弗の夜景。
本当に俗っぽくて、けばけばしくて、
でも、九龍側から見える香港島の景色は、ど迫力。
今でも夜景はあるのでしょうけど、
それは中国の夜景。
昔の香港とは違う。
※ネットからの引用
左端に「ぢ」のネオンサイン。
それは日本のヒサヤ大黒堂(痔薬専門会社)の香港支店の看板なのです。
今は、もう撤去されてないのですが、ある意味、香港と言う町を表していたように思います。
日本語で「ぢ」と大書して掲げる自由。
Toshiba、Sony、Panasonicなど日本企業がやりたい放題に広告を出していた自由。
そんな下品な自由も含めて、いろいろな自由が香港にはありました。
九龍半島の尖沙咀地区のネイザンロードに面して建つ、1960年代に開発された複合ビル。本来は1961年に完成した、個人住宅を主な目的とする16階建ておよび17階建のビルの5棟の総称であるが、現在、観光客が集まる繁華街の一等地にありながら、数多くの安宿が密集しているビルとして有名・・・だそうです。
ここはバックパッカーが集う一大聖地だったのでした。
自分は、こわくて泊まったことはなかったのですが、こわごわ表通りからのぞいたことがあります。
中は複雑な構造になっていて、かつての九龍城を思い起こさせるものだそうです。
※九龍城
清朝が築いた要塞、またその跡地に1990年代まで、東洋の魔窟とも呼ばれた巨大で複雑怪奇なスラム建造物があった。日本では九龍城という呼称はこの九龍城砦のことを指していることが多い。
九龍は「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在。
その名残りの重慶大厦。
やはり、犯罪が多発する危ない場所だったそうです。
それも、イギリスがゆるく統治していた時代の香港の風景。
こんな風景は、これからは、昔がたりの香港の歴史になってゆくのだと思います。
それで、中国の一地方都市となった香港、
自分はもう二度と行くことはない、と思います。
昔の香港(終わり)
(追記)
香港の民主主義を守るためにずっと戦ってきた香港の若者、アグネス・チョウ、ジョシュア・ウオン。国家安全法の施行により、二人とも政治団体・香港衆志(ホンコン・デモシスト)から脱退し、香港衆志自体も解散しました。
これは自身の命を守るためのこと。
仕方がありません。正しい判断だと思います。
アグネス・チョウのツイート;
でも、まだ彼らはあきらめません。
自分も応援します。