研究者のAkiです。
「巨人の肩の上にのる矮人」(きょじんのかたのうえにのるわいじん)という言葉
西洋のたとえ、の一つです。
日本語に無理やり訳した感じの言葉ですね。
これは、科学者アイザック・ニュートンの言葉だそうです。
ニュートンに、なぜ物理の法則を発見できたか、と聞くと、
”私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです”
(英語: If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.)
・・・とニュートンが言ったという。
要するに、過去の巨人(先人たち)の苦労、刻苦奮闘を理解して、その巨人たちの業績の上に立ってモノを考えることができたから、ということです。
最近だと物理学者の江崎玲於奈(ノーベル物理学賞)が、トンネルダイオードや超格子などの自分の成果について「ブロッホ、ゼーナー、ショックレーなどの巨人の肩の上でなしたのだと言えるでしょうし、また、私の肩の上でも新しい仕事が次々となされているのが現状」であると述べています。
また、科学的な成果には、ごく一部の高インパクト成果(いわゆる大発見・大発明)と、大多数を占める平凡な成果があるが、科学技術の進展にはどちらが強く寄与するかという議論があるそうです。
これに対しては大きく2つの考え方がある:
・科学の進歩は多数の平凡な研究者たちの仕事の総体の上に構築されるもの
・科学の進歩は限られたエリート研究者(巨人)の肩の上に立つことにより構築されるものであり、平凡な研究者たちの成果の重要性は比較的低い(ニュートン仮説)。
実態は後者の場合が多いそうです。
「巨人の肩の上に乗った巨人の肩の上からはさらに遠くを見通すことができるが、巨人の肩の上に乗った矮人の肩の上からは新たな視点は得られない」、ということです。
これは科学技術を担う者に対して、実に示唆に富んでいると思います。
ときどき、不遜な人がいて、
「俺は、自分の考えを大事にしたい、だから文献や特許は読まない」と言い放ちます。
でも、こういう人に限って大したことができていない。これは平凡な研究者の仕事ということだと思います。
巨人の肩の上に乗ること、日々のたゆまない努力と勉強の積み重ねがないとできません。それで、その肩の上で、大発見・大発明があるということです。
巨人の肩、登りたいけど、登っているうちに人生終わってそう。
まして、自分がその肩の上で新しい巨人となること、想像もできません。
巨人の肩の上(終わり)
こんな素敵なブログもあります! 研究者の方です。