日本人ゲイのAkiです。
サパの旅のつづきです。
サパに到着した昨日はファンシーパン山への登山、今日はバイクをレンタルして彼氏とツーリングです。Akiはもちろんベトナムの免許を持っていないので彼氏のTuが運転します。Akiは彼氏にしがみついているだけです。でも、Akiにとってこれがとっても楽しくて幸せな時間なのです。
Tu、免許証持っているよね?
”ん? 持ってない、でも大丈夫”
え? なんで?
”弟に貸してるから”
”大丈夫だよ、ここはベトナムだから”
Akiはもう驚きません。ここはベトナムなのです。
(オートバイに給油してツーリング開始)
(山岳地帯をバイクで疾走)
(バイクを降りて滝見物)
棚田や谷合いの村々が一望のもとです。隣には一年ぶりの彼氏、晴れやかな、すがすがしい気分です。しかし、ひとしきりバイクを疾走させると、雨がポツポツ。なので早めにホテルに帰ることにしました。ホテルの部屋に戻ったとたんに雨が激しい勢いで降り出しました。部屋から見えていた山々の姿が見えなくなるくらいの豪雨です。
これもいいかな。隣には彼氏がいるし。
その夜はふたりで部屋から雨のサパをぼんやり眺めて過ごしました。
さて、翌日はからっと晴れました。サパ滞在の最終日です。引き続きバイクでツーリングをしながら、モン族の村、カットカット村を訪れました。サパ市内から10分ほどです。村の入口でバイクを降り、徒歩で村内に入ります。ここは完全に観光の村です。でもAkiの大好きな猫がいて、ほんわかとした雰囲気を感じます。
(モン族の村、カットカット村)
※カットカット村(CatCat Village)の猫①
(モン族の村、カットカット村)
※村を歩いていると、ここで写真を撮ってください、と言わんばかりの場所がいくつかありました。しかし、本当に名物の棚田がきれいに撮れるのです。
(モン族の村、カットカット村)
※モン族の貸衣装を着て記念撮影、たぶん中国人
(モン族の村、カットカット村)
※村の目抜き通り?を歩いているとそこかしこに観光客向けの店があります。モン族のおばあさんが日がな一日、民族衣装を縫っています。
(モン族の村、カットカット村)
※カットカット村(CatCat Village)の猫②
(モン族の村、カットカット村)
※色あざやかな民族衣装に目を奪われます
(モン族の村、カットカット村)
※観光だけでなくちゃんと農業もやってます。
(モン族の村、カットカット村)
※滝見物2回目
この村は完全に観光地でした。まあ、そんなもんだろうと思っていましたが、それでもベトナムの少数民族の雰囲気を感じとることができたのでAkiは大満足です。
モン族の村からサパ市内に戻って、Tuとあたりを散策していると、人が行き交う公園の中でモン族のおばあさんが、やおら衣装をたくし上げ、用を足し始めたのには驚きました。ごく自然に、なんのてらいもなく普通にやってました。おもわずTuと顔を見合わせました。
また、市内にはたくさんのモン族の子供たちがいました。まだ5~6歳くらいの子が小さなモン族の飾りを売っていました。買って、買ってとAkiたちに言うのですが、前に買ったからもういらない、と言うと、とっても悲しい顔をするのです。でもこれ以上買うことはできません。きりがないのです。
すると近くにいたベトナム人観光客の女性が、みんな集まって!と小さい子たちに声を掛けました。一緒に写真を撮れば一人、1000ドン(約5円)あげるよ!。小さい子たちはわっと集まりましたが、1000ドンじゃいやだ、5000ドン(25円)おくれよ、とか大騒ぎとなりました。ベトナム人女性もこの騒ぎには大笑いでした。
モン族の子供たち、一生懸命なのですが、とくに悲壮感はありません。屈託がないのです。たぶん親も、子供たちと楽しみながらここで過ごしているようです。
Akiは少し救われた気持ちになりました。
(モン族の子供)
モン族の村は完全に観光地化していましたが、おばあさんの自然な行為?や子供たちの屈託のなさはモン族本来の姿のように思えました。開発が進んで、生活環境が変わってきているのでしょうけど、まだ少数民族としてのモン族は健在なんだなとAkiは感じたのです。
(サパの市場)
さて、Akiたちはサパの市場を見たりした後、再びラオカイに戻りました。ラオカイでは、ハノイ行きの列車に乗るにはまだ時間があるので、ベトナム―中国国境を見に行きました。彼氏のTuにとって国境などあまり興味がなさそうでしたが、Akiは、日本は周りが全部海で国境が珍しいから、とTuに言って行くことにしたのです。
(ラオカイ、老街) ベトナムー中国国境
※流れる川は南渓河、すぐに紅河と合流しハノイを中心とした紅河デルタを形成する。対岸は中国の河口(ハーカウ/ベトナム語)、三角のネオンには中国河口の文字
(ベトナム―中国の国境に架かる橋をベトナム側から見る)
※手前がベトナムの国境(石作りの門)、奥に見える三角のゲートが中国。左側の建物はベトナム側のイミグレーション
実はラオカイは1979年の中越戦争の激戦地なのです。当時、中国は56万人の兵をベトナム国境に集結させ、2月15日にベトナムに対して宣戦布告し、2月25日にカオバン、2月26日にラオカイを、3月5日にはベトナム東北部のランソンを占領することに成功しました。しかし、カンボジア方面に展開中だったベトナム軍主力が北部のベトナム軍と合流しはじめると、中国軍は被害増大と占領地の維持が危うくなることから、直ちに撤退を開始し、3月16日までにベトナムから完全に撤退しました。その後中国は内外に向けて戦争勝利を宣言し、中越戦争は終了しました。中国にとってベトナム北部の一時的な制圧という政治目的こそ達成されたものの、軍事的には完敗に終わったとの見方が大勢だそうです。 やるね! ベトナム!
国境に立つと、Akiはその先の向こうの国に行きたいといつも思います。しかし、この国境の先は中国です。行きたいとはまったく思いませんでした。逆に、中国を旅してきた旅行者はベトナムのラオカイに入って、ほっとするのではないでしょうか?そんな気がしました。
ベトナムの旅(サパ)(4)つづく