日本人ゲイのAkiです。
ベトナム、サパの旅のつづきです。
鉄道の終着駅ラオカイ(Lao Cai)から乗り合いタクシー(ミニバス)でサパに向かいました。全部で10人余りが乗車、Akiたち以外はみんな西洋人です。韓国人や中国人はいません。なので少し、ほっとしました。ややこしくなるのはまっぴらごめんなのです。ほかの人たちの会話を聞いていると英語、フランス語、スペイン語のようです。サパは、日本人にとって、まだそれほど知られていない場所なのですが、西洋人、特にフランス人にとって、ベトナムがフランスの植民地であったころから馴染みのある避暑地なのです。バスは山道をどんどん登ってゆきます。車窓の風景は、次第に緑であふれるようになり、ハノイやラオカイの喧騒が遠ざかってゆきます。
(サパに向かう途中、車窓の風景)
(サパに向かう途中、車窓の風景)
(サパに向かう途中、車窓の風景)
1時間ほどでサパに到着しました。バスを降りるとすぐ、石作りの教会が目に飛び込んできました。聖ロザリー教会です。ここはサパのランドマークなのです。
( The Stone Church 、Holy Rosary Church)
サパ独特の雰囲気があたりに漂います。ベトナムの少数民族、モン族の人たちが集まってきて、しきりにトレッキングのお誘いやお土産物を売りに来ます。
(モン族の子供たち)
モン族の子供からちょっとしたお土産を買って、Akiたちは、とりあえずホテルに行くことにしました。まだ、チェックインには早すぎる時間帯なのですが荷物を預かってもらうためです。Tuがスマホでホテルの場所を確認して、こっちだよ、と誘導してくれます。今回はとても頼りになる彼氏です。ホテルに着くと、やはりチェックインはできないのですが、シャワーや仮眠がとれる小さな部屋を貸してくれました。部屋に入って、わっと裸になってTuと一緒にシャワーを浴びました。
(サパのホテル)※小さいけどベトナムによくあるタイプです
さっぱりしたあと、サパの街を歩くと、少しだけですがヨーロッパの香りがします。湖があって、その湖面に映る建物を見ていると、やはりフランスの植民地だったころの名残りを感じます。それと、ここを避暑地として開拓したフランス人には敬意を表したいと思いました。ラオカイからサパに移動しただけで気温が10℃も下がりました。日差しは強いのですが、からっと乾いていて非常に過ごしやすい場所です。日本にも避暑地として有名な軽井沢があり、こちらも1886年(明治19年)にカナダ生まれの宣教師によって開かれました。異国の地で、自分の故郷に似た風土を求めたのでしょう。サパも19世紀末から20世紀にかけてフランス人によって開かれました。
(サパの街並み)
(サパの街並み)
(サパの街並み)
(サパの街の遠望)
(ベトナムコーヒーでちょっと一息)
街を散策したあと、ホテルにチェックインし、そのあと、2人でベトナム最高峰のファンシーパン山を目指しました。といっても登山ということではなく、なんと山頂までケーブルカー、ロープウエイ、そしてまたケーブルカーを乗り継いで行くことができるのです。Tシャツ、短パン、サンダルでも行けてしまいます。ただ、山頂は真夏でもかなり寒いです。
(ベトナム最高峰 ファンシーパン山)
※写真中央の最も高いところがファンシーパン山
(ケーブルカーからの景色)
(ケーブルカーからの景色)
※サパの街並みや名物の棚田が一望のもとに見渡せます。
(ファンシーパン山頂)
※ベトナム国旗が貸し出されていて、記念写真をとることができます。当たり前かもしれませんがベトナム人が多いのです。
(ファンシーパン山頂からの眺め)
※雲が眼下に広がる、だけど寒い
ファンシーパン山の標高は3143メートル、短い時間で簡単に登れてしまうので、山頂に立つと、少し息苦しさを感じます。それでもゆっくり歩いて、体を慣らすとその絶景がじわっと目にしみこんできます。ひとしきり感動したり、記念写真を撮ったりして、またロープウエイで麓(ふもと)まで戻りました。
こうしてサパの1日目は、あわただしく過ぎてゆきました。しかし、サパの物価はハノイと比べてかなり高いようです。Akiはハノイの空港で2万円ほど両替したのですが、あっと言う間になくなってしまい、ホテルでまた1万円を両替する羽目になりました。
ベトナムではインフレも進んでいるようです。
そのあと、ふたりで夕食をとり、部屋に帰ると、どっと疲れ切った体をベッドの上に投げ出しました。でも隣には彼氏のTu。なので、幸せな疲れでした。
ベトナムの旅(サパ)(3)つづく