Tu&Aki’s Couple Life

ゲイが考える『ベトナム』『アジア』『海外旅行』『日本』『仕事・働き方』そして『大事な彼氏』のこと

ベトナムの歴史

日本人ゲイのAkiです。

 

一度、彼氏のTuにベトナムの歴史について聞いたことがあります。
ベトナムの歴史の始まりは? 

”ああ、Akiは歴史が好きなんだね、教えてあげる”

”昔々、文朗国というのがあってフン王が支配していた、フン王は龍と仙女から生まれた神の子で、僕たちはみんな龍の子孫だよ”

あのね、Tu、それは伝説でしょ

日本で言えば日本武尊とか神武天皇とか、そのあたりの話なのです。

”本当は、歴史は僕はあまり知らない、得意じゃないんだ”
ということなのでTuに歴史を聞くことはやめました。やはりTuは歴史ではなく漫画が大好きなのです。それで、『物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム』 (中公新書)を読みました。

ベトナム史ではTuが言う通り、紀元前2879年に文郎国が興ったと書かれており、ベトナム人の間では初代雄王の即位がこの年であるとされ「ベトナム5千年の歴史」とよく言われるそうです。そのあとは、中国による支配がなんと1000年続きます。10世紀に入ると中国の政治が弱体化したことでやっと独立を果たしました。その後、ベトナムは独立を保つのですが、この間ベトナムは中国と15回の戦いを交えており、その独立は血みどろの戦いで維持されたものなのです。また、それは今のベトナム人にとっても誇りなのです。

特にAkiが注目したいのは13世紀後半、3度に渡るモンゴルの侵攻(元寇)です。

白藤江(バグダン)の戦い (1288 年);
1288年1月末、モンゴル(元)は軍を3つに分けて進軍し、ハノイを占領したが、すでに都城の住民が朝廷の「清野」策(焦土作戦)を実行していて、もぬけの殻となっていた。そのため元軍は陳朝の抗戦勢力(ベトナム軍)を全滅させることができず、次第に守勢に立たされることになる。危機的な形勢に立たされたと判断した元は兵を引き、そこから水路と陸路の二手に分かれて本国へ退却することを決めた。 元軍を全滅させ、国を解放する機会ととらえたベトナム軍は反撃を決断し、白藤江(バグダン)の潮位の上下を日々調べさせ、川底に杭を打ち伏兵を配した。 1288年4月初め、元の船団は騎兵の護衛を伴いつつ白藤江を遡上した。戦船が杭を打ち込んだ地点に差し掛かると、ベトナム軍の軽舟が出撃し、すぐに負けを装って後退した。懸命に追撃した元軍が伏兵がいる地点にたどり着くと、両岸から何千もの陳軍の小舟がなだれ込んできた。ちょうど潮が引きはじめた時刻だったとされている。元軍の船団は慌てて退却したが、干潮で水位が下がり顕わになった川底の杭に退路を阻まれ、多くの船が壊れて沈没するに至った。さらに陳軍は火をつけた筏を潮に乗せて流し、船団を炎上させたといわれる。生き残った兵士は川岸へと逃げたが、伏兵していた歩兵による奇襲攻撃を受けた。元軍の水兵は全滅した。・・・だそうです。


完全にモンゴル(元、中国)の負けでした。
ハノイの博物館に行くと、この戦いはジオラマ風に展示され、詳細がわかります。あるとき、タクシーか、セオム(バイクタクシー)の運転手かだれかに言われたことがあります。

”俺たちは昔、中国の元がやってきたとき、こてんぱんにしたんだ”
”日本の場合は神風が吹いて、元の船が沈没して助かったんだろ、俺たちは自分の力だけで勝てたんだ” と誇らしく言いました。

タクシー運転手でも良く知っている話なのです。彼は、日本の鎌倉時代に来襲した元寇(蒙古襲来)のことを言っているのです。元は日本には2回にわたって来襲しました(文永、弘安の役です)。ベトナムは3回です。両国はいずれの場合も撃退することができました。その後、19世紀までフランスが出てくるまでベトナムは独立を維持しましたが、フランスに対しては屈し1887年に植民地となりました。ベトナム人はこの屈辱を深く根に持ち、植民地からの脱却を試み、第二次世界大戦後のインドシナ戦争でフランスと戦い、ディエンビエンフーの戦いで、フランスに完勝しました。2万人強のフランス軍部隊のうち、少なくとも2,200人が戦死し、1万人以上が捕虜となりました。そのときベトナム軍の指揮をとっていたのがヴォー・グエン・ザップ将軍(Võ Nguyên Giáp、1911年8月25日 - 2013年10月4日)です。ベトナム人民軍総司令官。最終階級は大将。 その名采配から西側諸国からは「赤いナポレオン」と呼ばれ、ベトナム人民からは「ベトナム救国の英雄」として、ホー・チ・ミンと共に、深い敬愛と尊敬を集めました。

f:id:TuAki:20190608081134j:plain

ヴォー・グエン・ザップ)※ネットからの引用

 

彼氏のTuもヴォー・グエン・ザップさんを深く尊敬し、憧れの人なのです。

ベトナムの通史をたどると、1000年間の中国支配と、それから逃れる為の闘争の歴史であったことがよくわかります。一時的にフランスが支配し、アメリカも南ベトナムに進駐しましたが、歴史からすればごく短い期間です。中国との闘争にあけくれたベトナムからすれば一瞬のことだったかもしれません。

日本には、中国(元)は2回だけ来襲しました。その後はありませんでした。しかし、ベトナムには15回です。そのたびに硬軟入り交えて、撃退しています。そして今、南シナ海南沙諸島を巡って中国とつばぜり合いをやっています。これはベトナムベトナムとして決して譲れない独立維持のための真剣な戦いなのだとAkiは理解しています。1000年の支配に決して戻らないようにするための戦いなのです。


ベトナムの歴史(終わり)