日本人ゲイのAkiです。
ベトナム人の彼氏Tuとは、ベトナムではなくタイで会うことが多くなりました。
Tuがバングラデシュで働くことになったためです。
バングラデシュは日本から遠く、日本人でもビザが必要となります。
またTuが言うには、
”バングラデシュにはAkiは来ない方がいいよ、来てもなんにもないから”
ということで、バングラデシュからアクセスも良く、日本からの便も多いタイのバンコクが自然にデートの場となったのです。
2016年の8月、12月、2017年の8月、2018年の5月、
いずれもタイに行きました。
バンコクでデートを重ねてきたのですが、いいかげん飽きてきたので、
2018年の5月はいろいろ考えて、タイ西部のカンチャナブリに行くことにしました。
ミャンマー国境に近いところです。
バンコクのスワンナブーム空港でTuと落ち合い、電車でバンコク市内へ、ついでタクシーに乗り換えてバスターミナルに向かいます。
タクシーはTuがスマートフォンで予約しました。
Grabです。
まもなくタクシーが来ました、
といっても見かけは普通の乗用車で、運転手も普段着。
車を探していたTuが言いました
”この車だよ!”
”スマホでずっと車の位置を追跡していたから間違いない”
Akiがその車を確認するとTuの言う通りでした。
Grabは本当に便利です。
タクシーはバンコクの雑踏を抜け、間もなくバスターミナルに着きました。
そこから3時間ほどのバスの旅です。
AkiはTuの隣りに座り、ほかの乗客に気づかれないようにいちゃいちゃしてました。
さて、カンチャナブリは、古い映画で恐縮ですが、”戦場にかける橋”の舞台です、
映画、戦場にかける橋;
第2次世界大戦中の1943年、旧日本軍が、捕虜となったイギリス軍兵士や現地の人々を働かせ、タイとビルマ(現在のミャンマー)の国境を流れるクワイ川に鉄道用の橋をかけようとするのですが、その苛酷な労働や厳しい刑罰、日本人将校と捕虜であるイギリス人将校との友情ともいえる不思議な交流、さらにはその後の連合軍による攻撃などを通じて、戦争のむなしさが描かれています。
・・・・だそうです。
その有名な橋が今もカンチャナブリには残っているのです。
バスがカンチャナブリのターミナルに着き、トクトクに乗りかえて、ホテルに向かいました。
このホテル、部屋数は少ないのですが静かでいい雰囲気です。
中庭があって、プールもあります。
我々の部屋はその庭に面した一階にあるので、思い立ったら
いつでも泳ぐことができます。
が、Tuは泳げないのです。
小学校とか中学校で水泳は習わなかったの? とAkiが尋ねました。
”習ったけど、うまく泳げるようにはならなかった”
”でも10mくらいなら泳げるよ、今日は泳がないけど”
要するに泳げないのです。
せっかくなのでAkiひとりで泳ぎました。
翌日は観光です。
早速、例の戦場にかける橋に行ってみました。
(戦場にかける橋) ※ネットからの引用
今でもときどき列車が鉄橋を渡ります。
なるほど、こんなところに日本軍は橋を造ったのか、
市内にはタイとビルマを結ぶ鉄道建設中に犠牲となった連合軍の捕虜、労務者の霊を慰めるため、日本人によって建てられた慰霊塔があります。冥福を祈る碑文が日本語、英語、マレー語、タミール語、中国語、ベトナム語で刻まれています。
(慰霊塔)※写真はネットからの引用
線香の煙が漂っています。
Tuが叫びました、
”あ! ベトナム人の名前もある!”
鉄道建設で亡くなったベトナム人の名前です。
しかし、そのあとTuはあまりしゃべらなくなりました。
大戦中、捕虜を虐待した日本人の末裔である彼氏に気を使ったのか、
それともここでベトナム人が亡くなったことにショックを受けたのか、
理由はわかりません。
ともかく 二人で線香に火をつけ、手を合わせました。
しかし、カンチャナブリの戦争遺跡をたどるうちに、
Akiは複雑な気持ちになっていました。
ここでは日本人は悪い、ということにどうしてもなります。
反論はできません。
だんだん気が重くなってきます。
でも、Akiが戦争をおこしたわけではありません、
戦争に行ったわけでもありません、
また橋や鉄道を造らせたのもAkiではありません。
自分の知らない時代のことなのです。
なので、謝る気はまったくありません。
しかし、俺は知らないよ。関係ない!
と言い切れない空気がここにはあります。
ここでは第二次世界大戦は、歴史の1ページにはなっていないのです。
またこの戦争は今の政治と直接つながっており、我々の生活もその戦後の枠組みの中にあるのも事実です。そしてカンチャナブリで否応なく感じさせられる贖罪意識は今の政治が作り出したものであることも事実です。
そして、それはAkiが一人で考えてもどうしようもないものなのです。
カンチャナブリでは、悲しさと、むなしさが気持ちの中で混じりあいます。
(エラワン滝)※写真はネットからの引用
さて次の日は気分転換に郊外の国立公園に行きました
トレッキングです。
Tuは浮き浮きしています。
自然の中を歩くのがTuは大好きだからです。
Akiはやぶ蚊と戦いながらTuについて行きます。
”僕の方には、ぜんぜん蚊は来ないよ、タイの蚊は日本人が好きなんだね”
とTuが軽口をたたきます。
それでも森の中を歩くのは気持ちいいです。
おかげで完全に気分転換をすることができました。
カンチャナブリからまたバスでバンコクに戻りました。
2人とも爆睡してましたので、帰りはいちゃいちゃしてません。
しかし、つくづくカンチャナブリは日本人にとっては鬼門だな、と思いました。
クワイ川鉄橋を遠望できる場所から対岸に『華軍碑』と大書された看板が見えます。
(華軍碑、中華民国の旗も見えます)※写真はネットからの引用
華軍とは中華民国軍(現在の台湾)のことです。中華民国軍はイギリス軍の要請により、ビルマ防衛のためこの地へ派遣されました。しかし、日本軍と激戦を交えたものの連合軍の援軍がなかったため、多大な犠牲を出したそうです。この碑は、終戦後の中国国内の内戦によりこの事実が忘れ去られないようにという願いから建設されたそうです。
碑文には第2次世界大戦中に300名の中国軍人が爆発により死亡したが、誰も弔う人が居なかったのでこの碑を建てた、とあるそうです。
真偽はわかりません。
しかし、わざわざ対岸から見えるほどの大きさで慰霊碑をPRする必要があるのでしょうか?
Akiが思うに、おそらく中華民国系(台湾、国民党)の人が建てたのでしょう。
当時中国を支配していたのは国民党なので、国民党軍がここで戦闘を交えたのかもしれません。その慰霊だと思います。戦後、国民党は中国共産党と内戦を繰り広げ、張り合ってきました。その為、ここカンチャナブリでもその存在感をアピールする必要があったのではないでしょうか。
ただ、今の中国(共産党)が素知らぬ顔をして、これを利用するかもしれませんが。
カンチャナブリは70年以上前の記憶が風化することなく、ときにはその記憶が増幅されて思い起こされる、奇異な場所となっています。
そんなことを考えたりすると、やはりタイはゆっくりビーチに寝そべって日がな一日過ごし、夜は彼氏といちゃいちゃするのが一番いいのではないかと思ってしまいます。
今回は、日本人であるAkiにとって少しへこんだタイの休日となりました。
タイの休日(終わり)